【混沌時代の新・テレビ論】ジャニーズ性加害事件でもやめられない東山紀之氏の『必殺仕事人』

今朝のラ・テ欄(新聞のラジオ・テレビ番組一覧表)を見て唖然とした。東山紀之氏主演の『必殺仕事人』が放送されるというからだ。
あれだけ大騒ぎされ、社会的なバッシングを受けたにもかかわらず、よくもしゃあしゃあと放送できるな! 
これを見てそう怒っている方もいるのではないだろうか。しかも、旧ジャニーズ事務所の記者会見では、東山氏の言動に対するイメージはすこぶる悪い。そんな俳優が「正義の味方」となって、悪人をやっつける話など誰が見たいと思うのか、そう思っても不思議ではないだろう。

しかし、ここにはテレビ局の深刻な事情が存在する。

テレビの番組はかなりの長いスパンで制作体制が組まれる。特にドラマの場合は「数カ月」先という期間ではなく、「何年前」というレベルで企画が決定され、撮影などの制作が始まる。今回のように「シリーズもの」と言われるドラマの場合には、たいてい前の回の放送が終わった段階で視聴率や視聴者からの反響を観て、次回の制作開始を決める。当時の旧ジャニーズ事務所とテレビ局の力関係で言えば、おそらくそれよりさらに前倒しの「前作の撮影中」に主演の東山氏の意向を〝伺って〟次回作の決定が出されたであろうことは想像に難くない。
そしてドラマの制作費は数千万円にも上る。そんな番組がお蔵入りになれば、テレビ局は金をどぶに捨てるようなものだ。
だから、世間のバッシングを覚悟で放送に踏み切るのだ。私はテレビ局にいたから局員が考えることはよくわかるが、もしかしたら「年末のバタバタの時期に放送してしまえば、あまり目立たないのではないか」という思惑もあったのではないかと思ってしまう。
そこには「視聴者は不在」だ。
いまのテレビは、一番味方になってもらわなければならないはずの「視聴者」を無視し続けている。
そこには近江商人の商売哲学「三方よし」などは存在しない。本来は、「創り手(=送り手)」「受け手(=視聴者)」「世間(=社会)」のすべてが「よし」とならなければいけないエンターテイメントビジネスの世界においても、「世間(=社会)」どころか「受け手(=視聴者)」すらもないがしろにされている。
今日の「放送ラインナップ」を観ていると、そう感じずにはいられない。
そんなテレビの真実を、以下の拙著では徹底的に分析している。是非、お読みいただきたい。ttps://www.poplar.co.jp/book/search/result/archive/8201252.html

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