【「今日のタブチ」が斬る!】なぜテレビメディアはニュースサイト「ハンター」家宅捜索問題を報道しないのか
鹿児島県警の捜査資料漏洩事件に関連してニュースサイト「ハンターが家宅捜索を受けた問題に関しては、このサイトでも「メディアへの介入」や「メディア・コントロール」の危険性について警鐘を鳴らした。しかし、この問題に関してその後注目していたが、テレビメディアはニュースで「家宅捜索があった」事実だけを述べる程度で、それ以上の詳細を報道したり、断固抗議をおこなおうとはしない。
これはなぜなのか?
これではメディアの「ウォッチ・ドッグ」としての監視機能が働いているとは言えないのではないだろうか。テレビ報道の危機であると指摘したい。
日本ペンクラブは、「民主主義社会の根幹を脅かす」という抗議声明を出した。それに対して、テレビ局は何たるだらしないことかと元テレビ局員として恥ずかしく感じる。
ここには、大きなテレビ局の構造的欠陥があると考えている。テレビメディア、特に地方局は地元の警察や行政と「持ちつ持たれつ」的な関係にあることが多いという点だ。これは「癒着」一歩手前のようなケースもあるだろう。事件の情報やネタを警察から回してもらうというコネクションを築くことで、「スクープ」を抜くことができる場合もあるからだ。その代わりに、テレビ局の方は警察が「出さないで」と言った情報は隠しておくケースもあるかもしれない。
今回の問題は地方で起こったことだが、これは今後、東京のような中央で顕著化するのではないかと私は考えている。それは、地方よりも中央の方が「警察や行政とメディア」の結びつきが強固だからだ。問題の温床となっている理由として、私は以下の2つを挙げたい。
1.記者クラブ
2.「警察モノ」と言われる「警察密着」の番組
1.は言わずもがな、前述した地方でおこなわれている「Give&Take」と同じである。2.は私がプレジデントオンラインの論考で述べたような実情が、「警察とテレビ局」の間に隠されているということだ。まだ未読の方は、是非読んでみていただきたい。☛https://president.jp/articles/-/83542
九州大学の徳本正彦氏の研究(九州大学学術情報リポジトリ「日本におけるテレビ・メディアの支配過程 : その素描的考察」)によれば、戦前、戦中の警察機関のメディアへの介入はもちろんのこと、刑事事件のデッチあげや政府や財界の意向に迎合するような番組作りが歴史的におこなわれてきた。
このままでは、テレビ番組の内容にまで警察などの権力が口出しをするようになるのではないかと危惧している。いや、そんな事態はもう始まっているのかもしれない。
「YouTube」HPより