【「今日のタブチ」のおススメ書籍】ユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史』~いかに人類が愚かな歴史を歩んできたかを実感させられた
ずっと読みたいと思っていたユヴァル・ノア・ハラリ著の『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』上・下巻をやっと読むことができた。なかなか読みごたえがあると同時に、多くの学びや気づきがあった。
一番衝撃的だったのは、いかに人類=ホモ・サピエンスが愚かな歴史を歩んできたかということを実感させられたことだ。農業革命、貨幣、争い、宗教、科学革命という「発明」の数々はその愚かな歴史を手助けしたに過ぎない。
「なぜ、歴史を学ぶのか?」
その問いの答えを探すとき、歴史は予想できないということに気づく。なぜならば、その答えは「予想をするため」ではないからだ。未来を知るためではなく、視野を広げ、現在の私たちの状況は「自然なもの」でも「必然なもの」でもなく、想像するよりもはるかに多くの可能性があることを理解するためだ。それは単に過去を学ぶという後ろ向きなものではなく、極めて「前向き」な行為だ。例えば、ヨーロッパがいかにアフリカを征服するに至ったかを研究すれば人種的なヒエラルキーは自然なものでも必然なものでもなく、世の中はまったく違うかたちや発想で構成されていることに気づくことができる。
以下の言葉も印象的だった。
「歴史の選択は、人類の利益のためになされるのでも、人類の境遇を向上させることに向けられているのでもない」
「歴史には〝自然的な〟ものや〝必然的な〟ものは存在しない」
「科学的研究は宗教やイデオロギーと連携した場合にのみ、栄えることができる」
また、知らないことも多かった。
ヨーロッパがようやく軍事的、政治的、経済的、文化的発展の重要地域になったのは15世紀末であって、それまではアジアのオスマン、サファヴィー、ムガル、中国帝国の黄金期でそれが世界経済の8割を占めていたこと。
私たちはいま、「天国」と「地獄」の両方の入り口に立っている。一方の玄関口と他方の控えの間を落ち着きなく行き来しているようなものだ。私たちがどこに行き着くのかについて、歴史はまだこころを決めかねている。さまざまな偶然が重なれば、私たちはどちらの方向にも突き進んで行きうる。つまり、「選択」は私たち自身の手で責任を持っておこなわなければならない。
タイトルのサブにもあるように、「幸福」についても大きな示唆をしてくれた。物質的に満たされていることや歴史的に発展していることが、幸せと言えるのだろうか。スマホやインターネットができたことで人類は「便利」を手に入れたが、その一方で「苦しみ」や「悩み」は増大したのではないか。
読んでよかった。皆さんにもお勧めしたい。
「河出書房新社」HPより