【おススメドラマ】宮﨑あおいが“ミステリアスな”仮初の妻を演じる――『ちょっとだけエスパー』は「非現実」を《リアル》に変える秀作
先日のブログで、「2025年10月クールのドラマが出揃った」と述べ、序盤の総括をしたが、その後に開始されたテレ朝火曜21時枠の『ちょっとだけエスパー』が漏れていた。この場を借りて、おわびをしたい。と同時に、前回のブログ公開後に視聴したこの作品について、考察をおこないたい。
まず、この内容のドラマをオリジナルで実現したことに、拍手を送りたい。
一般的には、このような「ファンタジー」はなかなか、地上波では難しいとされている。そのため、企画も通りにくいのが現実だ。それはドラマプロデューサーを務めていた私にはよくわかる。
脚本家の野木亜紀子氏はかねてから挑戦してみたいジャンルとしてSFを挙げており、本作品で晴れてそれが実現する運びとなった。野木氏はこれまで『アンナチュラル』『MIU404』『逃げるは恥だが役に立つ』など、ジャンルを横断しながらも社会性と人間性を巧みに織り込んだヒット作を生み出してきた。こうした実績があるからこそ、今回のようなSFという挑戦的な企画でも、信頼感をもって通すことができたのだろう。
そして、見逃してはならないのが主役の大泉洋氏の存在だ。『ノーサイド・ゲーム』『鎌倉殿の13人』など、テレビドラマでも映画でも確かな実績と安定感を誇る大泉氏は、企画段階での「実現性」を大きく引き上げる存在である。「野木亜紀子×大泉洋」というカップリングが企画書上にあるだけで、局側の判断はぐっと前向きになる。
さらに加えて、大泉氏の妻役が宮﨑あおい氏であることは、大きな「プラス要因」だ。宮崎氏が民放のレギュラードラマに出演するのは、2012年の『ゴーイング マイ ホーム』(関西テレビ)以来、実に13年ぶりである。復帰作としてこの作品を選んだこと自体が、企画の質を担保している。
周囲の布陣も手堅い。ディーン・フジオカ氏、岡田将生氏、北村匠海氏など、主役級のキャストが脇を固める。私はよく授業で学生に「配信に勝るテレビの優位性は何だと思うか?」と尋ねる。すると学生は、「(もちろん、作品によっての差はあるが)全体的にテレビの方が出演者が豪華」であることを挙げる。キャストの方も、配信は「企画で選び」、テレビは「枠組みや人間関係で選ぶ」というようなところがある。まさにその典型例が本作だ。
そして内容だが、最初の屋上から大泉氏が飛び降りようとするスリリングなシーンから視聴者をぐいぐいと惹きつけ、そのあとも随所に、視聴者を引っ張ってゆこうとする工夫が見られる。これは、脚本の力が随所に発揮された好例だ。
「触れている間だけ心の声が聞こえる」という設定は、非現実的でありながら、現代社会の“コミュニケーション不全”を象徴しているとも読める。文太(大泉洋)に課せられた「人を愛してはいけない」というルールは、SF的設定でありながら、現代の孤独や倫理観を映す鏡のようでもある。
全体を通して、「突然、エスパーになる」という“非現実的な”設定の人物を、大泉氏が巧みに演じている。シチュエーションは“非現実的”だが、彼の演技には“リアリティ”がある。そんな状況に陥ってしまったら、どんな風に思うか、どんな風に振舞うか、といったような「行動原理」がよく計算され、表現されている。さすがに見事だ。その表情や行動を「観察」するだけでも、このドラマの価値がある。
そして、何と言っても宮﨑あおい氏が素晴らしい。あまりにも素晴らしすぎる演技なので、私にはラストの「オチ」が見えてしまったが、それも“プラスα”の効果だと言えるだろう。たとえば第1話で文太が社宅に到着すると、見知らぬ女性・四季(宮﨑)がエプロン姿で食卓を準備し、「文ちゃん」と親しげに呼びかける場面がある。視聴者はこの時点で、彼女が“仮初(かりそめ)の妻”であることを知らされているが、四季自身は文太を“本当の夫”だと信じているように振る舞う。
この“ズレ”を、宮﨑氏は決して過剰に演じない。敬語と親しみの混ざった言葉遣い、文太の他人行儀な態度に傷つく繊細な表情、そして時折見せる“空白”のようなまなざしが、彼女の内面に何かしらの秘密があることをほのめかす。演技論的に言えば、これは「感情の伏線化」であり、台詞ではなく“間”や“視線”によって物語の構造を先取りしている。宮﨑氏の演技は、息を呑むほどの繊細さと力強さを併せ持っていた。その表現力は、まさに圧巻だ。
その結果、視聴者は四季の言動に違和感を覚えつつも、どこかで“真実”を予感してしまう。つまり、宮﨑氏の演技は、物語の結末を“ネタバレ”するのではなく、“納得”へと導くための感情的地ならしをおこなっているのだ。
劇中で何度も、文太が四季を指して「このひと、変ですよね」と口癖のように言うが、少し「狂気」が入ったかのようにも見える四季は、とても“かわいらしく”“愛おしく”思えてくるから不思議だ。この“狂気と愛らしさ”の同居は、視聴者の感情を揺さぶる仕掛けとして非常に効果的だ。初回の終盤には、私はすっかりその魔力に魅了されていた。
『ちょっとだけエスパー』は「非現実の中の現実」を描いた秀作だ。引き続き、注目したい。
「TVer」HPより


