【おススメ映画】『それでも私は Though I’m his daughter』~オウム真理教・松本智津夫の「娘」に生まれた松本麗華氏の「葛藤」を描いた作品は、30年たったいまだからこそ、いろいろなことを考えさせられる映画だ

昨日、映画を見た。
『それでも私は Though I’m his daughter』というタイトルの映画だ。
ちょうど30年前の日本はある事件で揺れていた。オウム真理教による地下鉄サリン事件(1995年3月20日)である。ちょうど事件発生から約3か月半後の時期であり、オウム真理教に対する捜査が本格化し、教団幹部の逮捕が相次いでいた。社会的には「マインドコントロール」や「無党派層」などの言葉が流行語となり、メディアではオウム関連の報道が連日続いていた。政治は村山富市内閣(日本社会党)、阪神淡路大震災(1995年3月11日)の復興を目指すなど社会不安が色濃く残るなか、「LOVE LOVE LOVE」(DREAMS COME TRUE)や「HELLO」(福山雅治)などがヒットし、文化的には明るい兆しも見えていた。
映画のHPから概要を抜粋する。
1995年3月、日本を震撼させた地下鉄サリン事件。その首謀者の娘として生まれた松本麗華(まつもと・りか)は父親が逮捕された当時12歳。以来、どこに行っても父の名、事件の記憶、そして「お前はどう償うのか?」という問いがつきまとってきた。「虫も殺すな」と説いたはずの教団の信徒たちが起こした数々の凶行に衝撃を受け、父親が裁判途中で言動に異常を来したために、彼がそれら犯罪を命じたこともまだ受け入れ切れない。死刑の前に治療して事実を話させて欲しいとの彼女の願いに識者らも賛同し、真相を求め続けるが、間もなく突然の死刑執行。麗華は社会が父親の死を望んだと感じ、極度の悲しみと絶望のうちに生きることになる。それでも人並みの生活を営もうとするが、定職に就くことや銀行口座を作ることさえ拒まれる。国は麗華に対して教団の「幹部認定」をいまだに取り消さず、裁判所に不当を訴えても棄却されてしまう――。
監督の長塚洋氏は述べている。「この映画が観客に問うのは死刑制度をめぐる主張ではなく、ある加害者家族という“当事者”の存在に思いを致し、考え続けることだ。報復感情に依存しない世界、誰でも生き直せる社会への思いを、巡らせていただけたらと願っている」
そして、私がこの映画をどう受け止めたかだ。
基本的には素晴らしい映画で、「よくぞここまで撮った」と監督の苦労に拍手を送りたい。だから、このブログでも「おススメ映画」として紹介している。だが、「おススメ映画」という言葉の裏には、いろいろな課題をはらんでいるという意味もある。そういった意味で、私たちが「考えるべき課題」が多く提示された作品という意味で、私は皆さんに視聴を勧めたい。
まず最初にショックだったのは、松本智津夫の「娘」というだけで、松本麗華氏は銀行口座も作れないどころか、大学に合格しても入学を拒否されていたという事実だ。そして、前述の長塚氏の言葉にあるように、映画がはらんでいる多くの課題のひとつは「死刑存廃論」だ。なぜ、松本智津夫を死刑にしてしまったのか。それによって事件の真相は闇に葬られてしまった。だが、今日はあえてその話題は触れないでおこう。一番肝要な骨子に進みたい。
この映画を客観的に見て、「ドキュメンタリー制作において、いかに取材対象者(被取材者)との距離感を計ることが困難か」ということを改めて強く感じた。
繰り返しになるが、映画自体はとてもよく出来ている。6年間もの間、このハードなテーマを取り続けることの「しんどさ」や「つらさ」は、同じような制作者であった私にも痛いほどよくわかる。松本麗華氏との信頼関係もしっかりと築けているし、だからこそ彼女はカメラの前で赤裸々に本音を話す。そして弱みも見せる。それがこの作品の真骨頂で、この作品が成功している理由の一つだ。だが、その信頼関係が強固であるがゆえに、「観客や視聴者が一番知りたいことが曖昧になってしまった」嫌いは否めないのではないか。
それはいったい何か?
なぜ、松本智津夫は地下鉄サリン事件という残酷な罪を犯さなければならなかったのか?
本人が死刑になり、その口が閉ざされてしまったいま、誰がそのことを語れるのか。
それは近くにいた家族ではないのか。麗華氏は当時12歳で、幼かったという釈明のようなナレーションが何度も入るが、12歳と言えば小学6年生。親がやっていることくらいはわかるのではないか。しかも、自ら教団の幹部として身近にいたはずだ。観客や視聴者が一番知りたいはずの「なぜ、松本智津夫は地下鉄サリン事件という残酷な罪を犯さなければならなかったのか?」という問いの答えを何となく感じていても不思議ではない。私もそう思ったし、映画を見る人もそう思うだろう。
しかし、松本麗華氏の当時の状況を踏まえると、彼女は小学校に一度も通っておらず、教団施設内で家庭教師による教育を受けていたものの、9歳時点で平仮名も読めなかったと語っている。教団内では「後継者」として扱われ、11歳で幹部的な役割を担っていたというが、本人は「入信したことはない」「自分で選んでそこにいたわけではない」と明言している。映画では本人が「ある種の虐待」と表現していた。そういう状況を考えると、確かに教団内で生活し父が教祖であるという事実を日常的に目にしていた以上、何らかの「異常さ」や「違和感」を感じていた可能性は否定できないが、情報が遮断された閉鎖的な環境で育った子どもが、社会的な善悪や犯罪性を判断することは非常に難しい。
映画では、そういった「麗華氏がなぜ核心を語れないの」」ということを、しっかりと描いてほしかった。
映画の導入も、制作者が被取材者に「加担しすぎている」と感じた。正直言ってこの導入は残念な始まりだった。最初から「主役である麗華氏」を正当化している。原田氏は、弟を保険金殺人によって亡くした被害者遺族だ。なぜその人と話をさせて「思いや考えていることは同じ」としゃべらせたのか? それは完全な視聴者への刷り込みではなかったか。作品冒頭に原田氏を配置することで、観客に「彼が加害者家族との対話を受け入れた」事実を提示し、それがあたかも作品全体の肯定的なトーンの保証であるかのような印象を与えてしまっている。それが監督の意図ではないとしたら、失策だ。原田氏が「麗華氏もまた苦しみを背負っている」と語ることで、麗華氏の立場が「理解されるべきもの」として正当化され、映画の最初に視聴者が無意識に同調する導線が敷かれてしまった。導入時に「被害者と加害者家族がわかり合える」という希望的構図を先に提示することで、その後の物語がその枠組みの中で“無意味に”消化されてしまったのではないか。そう懸念する。素晴らしい作品、労作だけにもったいない。観客が「問題の本質」を問うよりも、「感情の処理」を優先させてしまう設計に陥った可能性があるからだ。
麗華氏の語りが主軸になる作品だからこそ、導入はむしろ「葛藤」を発露とする出発点であるべきだったのではないか。「なぜ麻原はあのような罪を犯したのか?」という最も重要な問いに対し、作品がどう向き合うのか――そこが曖昧になる構成であれば、観客にとっては〝免罪的な〝〟印象が先行してしまうのも致し方ないだろう。そのあたりの意図に関しては、いつか機会があったら、監督から話を聞いてみたいものだ。
以上、あえて苦言を呈したが、麗華氏が「父を信じたい」「世界中が敵になっても味方でいたい」と語る姿は、加害者の家族としての苦悩と、社会との断絶の中で生きる人間の複雑な感情を見事に浮き彫りにしている。タイトルの『それでも私は』にもそれは表れている。長塚氏は、観客が知りたい「なぜ?」という問いに対して、作品は直接的な答えを提示するのではなく、その問いを抱え続ける人間の姿を淡々と見せるという手法を採った。それはそれで監督の「覚悟」を感じられる作品だった。
そういった意味でも、ぜひ皆さんに見て、感じて、考えてほしい。そんな映画だ。

「映画ナタリー」HPより

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