【おススメ映画】『ミッション・ジョイ 困難な時に幸せを見出す方法』を手がかりに─ダライ・ラマ14世×デズモンド・ツツ大主教による「喜びの対話」から考える、宗教多元主義と寛容の可能性(桜美林大学・研究ノート)

ドキュメンタリー映画ミッション・ジョイ 困難な時に幸せを見出す方法を観た。
本学・桜美林大学での私の研究テーマのひとつ「宗教多元主義」と深く関わる内容でもあり、研究の一環として映画館に足を運んだ。
映画が描いていたのは、ダライ・ラマ14世デズモンド・ツツ大主教という二人のノーベル平和賞受賞者による、宗教を超えた「喜び」と「赦し」に関する対話。そう聞くと、なんだか〝堅苦しく〟〝難しい〟ものかと思うだろうが、そうではない。彼らの存在そのものが「ミッション・ジョイ=喜びを探す使節団」と言えるほどに、互いへの深い敬意と軽やかなユーモアが絶え間なく交差していた。見ながら私は何度も笑い、涙し、そして深く考えさせられた。
この映画を通して、「宗教多元主義」とは机上の理念にとどまらず、生きた実践であることを再認識した。
このブログでも以前紹介したが、私は昔、33年前、ダライ・ラマ14世にインタビューする機会をいただいた。そのとき投げかけた質問が「一日のうちで一番幸せな瞬間はどんなときですか?」というものだった。法王はしばらく考えた後、「やるべきことがすべて終わって、これから寝ようかという瞬間かなぁ」と言って、豪快に笑った。映画の中で見たあの笑顔と声が、まるで昨日のことのように記憶の中でよみがえった。
映画の中で印象的だったのは、法王の瞑想部屋に十字架が飾られていたことだ。仏教の最高指導者が、他宗教の象徴をあたりまえのように受け入れているその姿は、「宗教多元主義」の本質を物語っていた。
宗教多元主義とは、特定の宗教を至上とすることなく、互いの教義・実践を尊重しながら共存を模索する思想である。対話と理解を前提としたこの理念は、単なる宗教間の「平和」ではなく、人間同士の尊厳の共有とも言える。
ツツ大主教の言葉—「敵対する相手も人間。喜びもあれば、苦しみもある」——は、その思想の核心をやさしく、かつ力強く伝えてくれる。争いは、他者を「理解の対象」として見るという想像力が欠如することで生まれるのかもしれない
映画の中では、幸福研究の科学者たちも登場し、僧侶の脳波と一般人のそれとの比較から「心の穏やかさは訓練可能である」ことが語られる。宗教的な修行が、科学的に検証可能な「効果」をもつことに驚きつつも、それ以上に「宗教を科学で解明しようとする試み」そのものに誠実さを感じた。
思えば、私のインタビュー時にも法王は「科学の力を用いて平和の実現に勇気をもって取り組むべきだ」と語っていた。宗教の神秘性に逃げ込むのではなく、そこに理性を差し込もうとする姿勢が、宗教多元主義とも響き合っているように感じる。同時に、法王は33年前にすでに、「テクノロジーに翻弄される現代社会」を予見していたことにも驚かされる。
映画の中で二人が繰り返し語る「許すことは弱さではない」という言葉が心に残った。他者の過ちや不遜さを受け入れることは簡単ではない。それでも、そうした「寛容さ」こそが争いを未然に防ぎ、理解を育む種になる。
私は、この映画を観て、「自分はどこまで寛容になれるだろうか」「赦しを実践できる成熟さを持てているだろうか」と自問した。
『ミッション・ジョイ』は、視覚的にも知的にも、そして何より心に響く作品だった。これは「観れば幸せを感じる」だけの映画ではない。宗教、科学、喜び、赦し—それぞれの領域が交錯しながら、私たち一人ひとりに問いかけてくる映画である。ぜひ、皆さんにもこの感覚を体験してほしい。

「映画.com」HPより

ドキュメンタリー映画『ミッション・ジョイ 困難な時に幸せを見出す方法』を見た。
本学・桜美林大学の私の研究テーマの一つでもある「宗教多元主義」の研究のために映画館に赴いた。
心が震えた。思い切り笑った、泣いた。文句なしに〝素晴らしい〟映画、〝見るべき〟映画だ。見て本当によかったと心から思った。

(以下、HPからの概要抜粋)
困難に直面した時、私たちはどのように幸せを見出すことができるのか?本作はチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世と、南アフリカのアパルトヘイト撤廃運動の指導者の一人、デズモンド・ツツ大主教という2人のノーベル平和賞受賞者が、宗教の違いを超えてその答えを導き出す深い知恵と喜びに満ちた世紀の対談を元にしたドキュメンタリーである。深い友情で結ばれた2人は、ユーモアを交えながら、幸せや死生観などについて壮大な問いに迫り、私たちにどんな状況でも喜びと共に生きる知恵を授けてくれる。世界的ベストセラー『よろこびの書』に触発されて制作された本作はダラムサラのダライ・ラマ法王邸で撮影された未公開映像を中心に構成されている。信じがたいほどの困難や苦難を経験してもなお、なぜ2人は喜びと共に生き続けてこられたのか?幸福研究で著名なソニア・リュボミアスキー博士とリチャード・デビッドソン博士を交え、科学的にも喜びを持ち生きる方法を読み解いていく。本作は困難な時代を幸せに生きるための処方箋となるだろう。

とにかく、ダライ・ラマ法王もツツ大主教もお茶目でチャーミングで、飛び切り魅力的だ。二人はお互いを「魂の友」と呼んでいるらしいが、二人で話しているときはまるで「やんちゃ友だち」がじゃれあって遊んでいるようだ。まさにこの二人の存在が「ミッション・ジョイ=喜びを探す使節団」だと感じた。
私はダライ・ラマ14世にインタビューをしたことがあることはこのブログでも以前に紹介したが、そのインタビューの際の法王とのやり取りが昨日のことのように蘇った。そのときのドキュメンタリーのテーマが「幸せとは何か」だったので、私が投げかけた「一日で一番幸せなときはどんなときですか?」という質問に法王は、「その日やるべきことがすべて終わって、いまから寝るという瞬間かなぁ」と言って豪快に笑った。
この映画からは多くの学びがあった。
「苦しみは喜びを得るためにある」という言葉は勇気をくれる。ツツ大主教の「敵対する相手がいたとして、その相手も人間。喜びもあれば、苦しみもある」という言葉は、相手を思いやる、他者を許すことの大切さを教えてくれる。そういう気持ちがあれば、争いごとは起こらないのだと感じた。そして二人は「許すことは弱さではない」と強調する。相手の間違いや不遜さを許容することは、難しい。そんな「寛容さ」を持った立派な大人に、私はいつになったらなれるのだろうか……。
印象的だったのが、ダライ・ラマ法王が「宗教を科学で解明する」試みをおこなっているという下りだった。そういえば、私のインタビューの折にも、法王は「科学の力を利用して平和を実現する勇気が必要」と述べていた。映画の中では、日々瞑想を続けている僧侶と普通の人を科学的に比較して、心の平穏は訓練によってコントロールできることを証明している。これはなかなか興味深い見地だった。
そして何よりも、この二人のカップリングがまさに「宗教多元主義」の素晴らしさや必要性を証明している。「宗教多元主義」とは、異なる宗教の信仰を認め合い、共存しようとする考え方だ。特定の宗教が他の宗教よりも優れていると主張するのではなく、それぞれの宗教が持つ価値を認め、対話を通じて相互理解を深めることを目指す。法王の瞑想部屋には、十字架も置いてあった。あのダライ・ラマですら、立派な「宗教多元主義」の実践者なのだ。
とにかく、「見れば幸せになれる」映画だ。ぜひ、皆さんにもこの感覚を体験してほしい。

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