【おススメ映画】大友啓史監督『宝島』が暴いた沖縄の《分断》――それは、私たちの社会にも潜んでいる

気づけば3時間が過ぎていた。沖縄の空気に飲み込まれ、息をするのも忘れていた。
映画『宝島』(2025年、大友啓史監督)は、戦後の沖縄を舞台に、米軍統治下で生きる若者たちの怒りと希望を描いた壮大な群像劇だ。展開の速さと映像の迫力、そして圧倒的なリアリティが、時間の感覚を奪っていく。飽きる暇などなかった。

物語は1952年、米軍統治下の沖縄から始まる。貧困と暴力に晒される島民のため、米軍基地を襲撃して物資を奪う若者たち「戦果アギヤー」が暗躍していた。グスク、ヤマコ、レイの三人は、英雄的存在のリーダー・オンと共に活動していたが、ある日、オンは嘉手納基地から「予定外の戦果」を持ち出したまま姿を消す。
時は流れ、グスクは刑事となり、ヤマコは教師として子どもたちを育て、レイは刑務所を経てヤクザとなる。それぞれがオンの行方を追いながら、沖縄の現実と向き合っていく。米兵による事故や暴力が繰り返されても、島民は泣き寝入りを強いられ、怒りは蓄積されていく。1970年、米軍機の墜落事故で小学校が破壊され、多くの子どもが犠牲になる。レイは米軍基地から盗んだ毒ガス兵器を使い、基地に報復しようとするが、グスクはそれを阻止しようとする。基地内で激しく衝突する二人。彼らはそれぞれの正義と沖縄の未来を問いながら、失われた友と過去に向き合っていく。

一言で言えば、この映画は「分断」の物語だ。第二次世界大戦前から続く沖縄蹂躙の歴史を柱として、さまざまな「分断」が描かれる。日本とアメリカ、沖縄と本土、そして同じ沖縄のなかにも分断があることに気づかされる。分断は、無意識に浸食を始める。だから、気がつくことが少ない。メインであるグスク、ヤマコ、レイたちも、彼らのなかに「分断」が存在することに徐々に気づいてゆく。そのプロセスが丁寧に描かれていて、感情移入がしやすい。

この映画がいま公開されたことの意義も大きい。今年7月、北部・今帰仁村に巨大なアミューズメントパーク「ジャングリア沖縄」がオープンした。「ジャングリア沖縄」は、観光振興の目玉として注目を集める一方で、地域社会や環境に対するさまざまな観光被害を引き起こしている。
まず、交通インフラの脆弱さが深刻な問題となっている。那覇空港からのアクセス手段が限られている中、レンタカー利用者が殺到し、北部地域では慢性的な渋滞が発生。救急車の通行に支障をきたす事例も報告され、住民の生活や安全に直接的な影響を及ぼしている。
また、自然環境への負荷も懸念されている。ジャングリアはやんばるの森に隣接しており、施設の建設・運営による騒音、森林伐採、水資源への圧力などが地域の生態系に影響を与える可能性が指摘されている。施設運営面でも課題が多く、猛暑やスコール、台風といった沖縄特有の気候に対する備えが不十分で、来園者の熱中症リスクが高まっている。さらに、アトラクション数の少なさや整理券システムの不具合などにより、来園者の不満がSNS上で拡散。CMで描かれたイメージとの乖離が大きいとの声も多く、施設の評価低下につながっている。
観光客数の増加に伴い、地域経済への還元が期待される一方で、安価なパッケージ旅行の増加により一人当たりの消費額は減少傾向にあり、観光の質の低下も懸念されている。さらに、Googleマップ上での口コミ大量削除が発覚し、運営への不信感が広がった。SNSでの炎上や掲示板での荒らし行為も相次ぎ、観光地としてのブランド毀損が進行している。
ジャングリア沖縄の開業は、地域に新たな経済的可能性をもたらす一方で、持続可能な観光のあり方や地域との共生を問う重要な契機となっている。こういったように、沖縄の生活基盤ともいえる「観光」においても、地域と観光客の間で「分断」が生じているのだ。

私たちは、沖縄というと「リゾート地」「きれいな海」というイメージを描きがちだ。だが、そこには人が住み、生活をしている。そして彼らの心の中や歴史には、長い間にわたって蓄積された米軍基地への想いがある。あるときは生活の糧でもあっただけに、その想いは複雑だろう。いまこそ、そんな想いを、同じ日本人全員が共有する必要がある。この映画を通して、深くそう確信した。

「分断」を解決するには「対話」しかない。その話す内容が間違っているかどうかなど、未来にどう影響するかなど誰にもわからない。であれば、とにかく「声を発する」ことが大事なのだと映画を見て感じた。日本政府はもっとアメリカに対して「モノ言う」べきだ。そんなことをこの映画は気づかせてくれた。
とても素晴らしく意義のある映画だ。さすが大友啓史氏だと思った。それだけに、最後のくだりは余分だった。オンを「いい人」というステレオタイプに押し込め、「いい話」でくるんでしまったのは惜しかった。これだけの大作が訴えたかったのは、「人間愛」ではないはずだ。また、大友監督もこの作品を「ヒューマンドラマ」にしたかったのではないはずだ。好みにもよるが、オンは「行方が知れないまま」の方が、作品の本質がしっかりと浮き彫りになったのではないだろうか。

「映画.com」より

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