【今日のタブチ】「ガザ停戦合意」報道の裏に潜む罠――メディア《偏向》の“危うさ”を見抜く力

今朝の新聞には「ガザ停戦合意」の文字が躍った。
イスラエルとハマスが人質の解放と一時停戦に合意したという報道が、各紙の一面を飾った。ハマスは拘束していた人質全員の解放に応じ、イスラエルはガザからの部分的撤退を開始するという。
トランプ米大統領はこの合意を「強固で永続的な平和への第一歩」と自賛し、11日か12日には中東を訪問する意向をFOXニュースのインタビューで明らかにした。

しかし、ここで立ち止まって考えたい。

今回の合意は、あくまで「人質解放」と「一時停戦」という交換条件にすぎない。
ガザの統治を誰が担うのか、イスラエル軍が完全撤退するのか、ハマスの武装解除はどうなるのか――肝心な論点はすべて「第2段階の交渉」に先送りされている。
和平の言葉が踊るたびに、現地の人々は裏切られてきた。今年1月にも停戦が成立したが、イスラエルはわずか2か月後に攻撃を再開している。1993年のオスロ合意も「歴史的和平」と報じられたが、結果的に和平は崩壊した。
予断は許さない状況であることを、私たちは肝に銘じなければならない。

そして今回、私が最も懸念しているのは、トランプ氏がこの重要な外交的発言をFOXニュースという特定メディアでのみ語ったという事実だ。
ABCNBCなどの報道機関には「フェイクニュース」と批判を浴びせる一方で、FOXには露骨なまでの好意を示している。2025年8月には「ABCとNBCは歴史上最悪の放送局だ。私に関する報道の97%が否定的だ。これは民主主義への脅威だ」と発言し、FCC(米連邦通信委員会=テレビ・ラジオなどの放送免許を管理する独立行政機関で、政治的公平性や公共性を監督する役割を持つ)による放送免許の再検討を示唆した。

このような偏ったメディア環境の中で報じられる「歴史的合意」に、公平性や公正性はあるのか?
この問いは、単なる印象論ではない。報道は「何を語るか」「誰が語るか」「どこで語るか」によって現実の認識を形作る。
政治家が発言の場を選び、メディアがその声を選別する――その相互作用が「偏重報道」という構造を生む。
青山学院大学名誉教授の袴田茂樹氏は「報道は悲惨な映像を通じて国際世論を誘導している」と警鐘を鳴らす。麗澤大学客員教授の飯山陽氏も「ハマスの暴力を『抵抗運動』と美化し、イスラエルの自衛権を否定する傾向がある」と批判している。

さらに見落としてはならないのは、メディア側もまた、政治的立場や編集方針によって「誰の声を流すか」を選別しているという事実だ。
トランプ氏がABCやNBCに出演しないのは、彼自身の選別であると同時に、これらのメディアがトランプの発言を「流せない」「流したくない」状況にあることも一因である。
その結果、FOXニュースだけが発言の場となり、報道内容が偏る。
こうした報道の場の選別は、ファシズムの初期段階で見られる「メディア統制」と極めて類似している。
ロシアでは独立系メディアが閉鎖され、国営メディアが情報を独占している。報道の自由が制限されると、情報空間は政治的に操作され、国民の判断力が奪われる。
上智大学教授の前嶋和弘氏は、「トランプ政権は“フェイクニュース”という言葉を使って、自分に不都合な報道を政治的PR情報として排除している。これは情報の選別ではなく、情報の操作である」と警告する。

人質の解放は確かに喜ばしい。
しかし、それが「恒久的な平和」への道だと信じるには、あまりに多くの課題が残されている。ガザの統治、武装解除、国際的な監視体制、そして何よりも、報道の信頼性。
「停戦合意」という言葉の裏にある政治的駆け引きと、メディアの偏向性を見抜くこと
それこそが、今私たちに求められている冷静な視点ではないだろうか。

「日本経済新聞デジタル」より

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