【今日のタブチ】「国土地理院」発表の《都道府県別面積》ランキングに覚えた“違和感”――地震で順位が変わる?その「情報のかたち」を疑う力
国土地理院の発表によれば、石川県の面積が福井県を抜いて全国34位になったという。理由は、昨年の能登半島地震による海岸の隆起。自然災害によって県の順位が変わるという異例の事態に、ニュース性はあるのかもしれない。だが、「県ごとの面積ランキング」なるものを、いまだに更新し続けていることに驚いた。そもそも、自分の県の面積が「何位か」ということに何の意味があるのか。
かつては何でもランキングする時代だった。「好きな芸能人ベスト100」「住みたい街ランキング」「学力テスト全国順位」——テレビでは『学校へ行こう!』や『秘密のケンミンSHOW』などが、県民性や地域格付けを面白おかしく競わせていた。こうした傾向について、メディア社会学者の藤田真文氏は「日本人は序列や格付けに安心感を覚える傾向がある。ランキングはその不安を埋める装置として機能してきた」と指摘している。順位があることで、自分の立ち位置が見えるような気がする——そんな心理が、ランキング文化を支えてきたのだ。
だが、今はそういう時代ではない。災害によって順位が変わったことを「ニュース」として扱うことに、どこか違和感を覚える。誰も喜べない変化を、ランキングという形式で伝えることに、私たちは「それでいいのか」と問い直すべきではないか。
こうした違和感は、世界でも市民的な問いとして広がっている。たとえばアメリカでは、政府が公開する地理空間データを市民が批判的に活用する「クリティカルGIS(Critical GIS)」という考え方が1990年代から注目されてきた。これは、地図や統計が中立的な情報ではなく、社会的・政治的な意図や偏りを含みうることを前提に、「誰が、何のために、どんな価値観で」地理情報を扱っているのかを問い直す姿勢だ。
この流れの中で、2009年に始まった米政府の「Data.gov」は象徴的な取り組みだ。行政が持つ膨大な地理空間データや統計情報を市民に開放し、誰でも自由にアクセス・活用できるようにしたことで、行政の透明性が高まり、災害時の情報の扱い方や都市計画への市民参加が進んだ。単なる「データの公開」ではなく、「市民が問いを立てるための土台」として機能している。
日本でも、こうした市民のまなざしは確実に広がっている。福井県鯖江市では「データシティ鯖江」構想のもと、公共施設の情報を市民が再編集し、行政にフィードバックする仕組みが生まれている。また、「アーバンデータチャレンジ(UDC)」という取り組みでは、地理情報や行政データを活用して地域課題の解決に市民が主体的に関わる活動が全国で展開されている。これは企業ではなく、国土交通省や大学、自治体、NPOなどが連携して運営する市民参加型のオープンデータ活用プロジェクトであり、地域ごとの課題に対してアプリ開発やデータ分析を通じて具体的な提案が生まれている。
国土地理院の発表をそのまま受け取るのではなく、そこにある価値観や前提に目を向けること。違和感は、思考の入り口だ。
私たちは、情報の何が正しくて何が間違っているのか、自分たちは何を見せられていて、何を見せられていないのか——それを考える必要がある。
ランキングという形式が、何を強調し、何を隠してしまうのか。その構造に目を向けることこそ、今の時代に求められている姿勢なのではないか。
「47都道府県別ランキング」HPより