【今日のタブチ】「通過儀礼」の大切さを思う~能登「一年遅れの成人式」&「振袖の成人式」を支援する大学生
今朝の新聞には、能登半島地震の影響で延期されていた「一年遅れの成人式」の様子がレポートされていた。そして誇らしげに、少し恥ずかしそうに、振袖と羽織袴で式に臨む若者たちの姿が写っていた。それを見て、彼らの思いを想像し、胸がジーンとなった。不安だったろう。これから社会に出ていこうという節目に「なぜ私がこんな目に」と思ったかもしれない。そう思うと胸が痛い。
そして、改めてこういった「通過儀礼」の大切さを実感した。一時期は成人式が荒れた場となり、自治体によっては中止するとこともあったと聞く。コロナでも成人式が取りやめになった。「最近の成人式は形骸化して意味がない」という声もよく聞く。しかし、やはりこういった通過儀礼の場は「ひとつの節目」として大切なのではないかと私は思う。
それは私が海外の秘境の取材で多くの現地の通過儀礼を見てきたからだろう。特に発展途上の場所では、「度胸」や「体力」を試すことで、優秀な人材を選別し民族の生き残りを図ってきた。また通過儀礼は「大人」への入り口であった。「痛み」や「恐怖」に耐えることで、社会の厳しさを教えてきた。秘境では強くなと生き残れないからだ。
ニューギニアのセピック川の流域では、体中に傷をつけてワニに似せた肌にしてゆく「クロコダイルマンの儀式」がある。巨大な石を跳躍力と勇気で飛び越えることが通過儀礼となっているインドネシアの民族もいる。アフリカ・オモ川流域の民族は棒で相手を倒すという決死の闘いを経て大人の仲間入りができる。このように「成人式」という通過儀礼は、その民族にとっての「アイデンティティ」と「プレゼンス」そのものなのだ。
成人式と言えば、もうひとつ素晴らしい試みを紹介したい。
生活の養護支援を受けて暮らすなど経済的理由で、成人式で振袖を着ることをあきらめた人に、振り袖姿での写真撮影をプレゼントする支援活動を福岡の女子大生が始めたという。福岡市の貸衣装屋店や美容室の協力を得て、応募した人が振袖を選び、着付けをしてもらったうえでプロのカメラマンに撮影してもらうという。私の親友である元・フジテレビの吉野嘉高氏が教授をしている筑紫女学園大学の学生も参加しているので、ヒヤリングしてみたところ以下のような返事をくれた。
「こういう相互扶助の精神が学生に根付いているのは肌感覚でわかる。貧困化は地方で深刻で、学生の普段の服装も、お金のかからない超カジュアルなものへと様変わりしたけれど、福岡は地縁、血縁といった人的ネットワークが強く、経済的弱者へのセーフティネットになっているね」
とても素晴らしいと思った。こういった若者がいる日本の未来は明るい。そう感じた。
「沖縄タイムズプラス」HPより