【今日のタブチ】「Shine with U」が消えた朝──SixTONES発車メロディー中止が暴露した“想像力”の限界

JR東日本が、東北新幹線の東京・上野・大宮駅で使用していたSixTONESの楽曲「Shine with U」の発車メロディーを中止すると発表した。
理由は、ファンの一部がホームで柄の長い集音マイクを使って録音する行為が目立ち、安全面での懸念が生じたためだという。新幹線の架線には2万5千ボルトの高圧電流が流れており、近づくだけでも感電の恐れがある。本人だけでなく、周囲の乗客にも危険が及ぶ可能性があるという。

まず、こうした危険行為は論外だ。公共の場で安全を脅かす行動は、どんな理由があろうと許されるものではない。録音したいという気持ちがあっても、それが他者の命や安全を脅かすならば、即座に制止されるべきだ。
しかし、ここで立ち止まって考えたいのは、「なぜこんなことが起こったのか?」という点だ。JR東日本は、注意喚起の放送や巡回警備などの対策を講じたうえで、最終的に楽曲の使用を中止する判断を下した。安全を最優先にした対応としては妥当だろう。
ただし、そもそもこの企画を立ち上げた段階で、録音目的のファン行動は「想定外」だったのだろうか。人気アイドルグループの楽曲を公共空間で流すということは、ファン心理として「音を録りたい!」という欲求が生じるのは当然だ。録音文化はSNS時代のファンダムにおいて、もはや自然な反応である。

では、JR東日本はその心理をどこまで想像し、どこまで安全設計に反映させていたのだろうか。
スピーカーの設置位置は?
録音を防ぐための物理的な工夫は?
録音行為への事前警告は?

疑問は尽きない。

この企画は「Enjoy! SixTONES, Enjoy! ShinKANSEN.」という観光キャンペーンの一環だった。乗客の気分を盛り上げ、旅行需要を喚起する狙いは理解できる。しかし、「人気アイドルの楽曲を使えばウケるだろう」「乗客が増えるだろう」という安易な期待が先行していたとすれば、それは企画設計の瑕疵だ。
例えるなら、バラエティ番組で芸人が目を回すゲームをして倒れた場合、責任は誰にあるのか?演者か、演出か、安全管理か。今回の件も、ファンの一部に道徳的に問題のある行動があったとしても、たいていのファンはこの中止措置にがっかりしたはずだ。その失望は、企画側の「想像力の欠如」によって生まれたものだ。
過去にも、駅メロや公共空間での音楽使用がファン行動を誘発した事例はある。
たとえば、アニメ「ラブライブ!」の聖地・沼津では、駅構内や周辺での録音・撮影が過熱し、地元関係者がマナー向上を呼びかける対応を行ったことがある。
海外では、ロンドン地下鉄が一部駅でクラシック音楽を流す際、環境改善や犯罪抑止の目的でスピーカーの位置や音量を調整した事例があり、結果的に録音行為を抑制する効果もあったとされる。
つまり、音楽を公共空間で使う際には、ファン行動を予測し、それに対する安全設計が不可欠なのだ。
今回の事例を教訓とし、同様の企画においては、以下のような対策を講じるべきだと強く提言したい。
録音行為を想定した設計。スピーカーの位置を高所に設置し、録音困難な環境をつくる。事前の注意喚起。録音行為が危険であることを明示し、駅構内に掲示する。録音可能な代替手段の提供。公式サイトで発車メロディーの音源を配信することで、ファンの欲求を安全に満たす。ファンとの対話。企画前にファンコミュニティと意見交換を行い、リスクを共有する。などである。

公共空間に音楽を持ち込むことは、文化的にも心理的にも大きな意味を持つ。しかしそれは、想像力と責任を伴う行為でなければならない。今回の中止は残念だが、次に活かすための材料は揃っている。音楽と公共空間が安全に、そして豊かに共存する未来を、私たちはもっと丁寧に設計していくべきなのだ。

「鉄道コム」HPより

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