【今日のタブチ】『コンフィデンスマンKR』ロスが照らす、日韓「ドラマ演出」の深層と「フォーマットビジネス」の未来
『コンフィデンスマンKR』が終わってしまった。毎週末の楽しみが消え、ぽっかりと心に穴が空いたような感覚が残っている。
詐欺師たちが繰り広げる痛快な騙し合いと、予想を裏切る展開の連続。何より、主役ユン・イランを演じたパク・ミニョン氏の魅力が圧倒的だった。彼女の演技は、ただ美しいだけでなく、どこか四次元的で、詐欺師という役柄に不思議な説得力を与えていた。IQ165の天才という設定も、韓国ドラマらしいスケール感があって、見ていて爽快だった。
そして、ぼくちゃんポジションのミョン・グホを演じたチュ・ジョンヒョク氏がよかった。彼の演技は、ユン・イランの暴走を支える絶妙なバランス感覚に満ちていて、チームとしての説得力を高めていた。日本版のぼくちゃんが「巻き込まれ型」の庶民代表だとすれば、韓国版のグホは「冷静な参謀」としての存在感が際立っていた。
演出面でも、日韓の違いが鮮明だった。日本版のダー子は、ジャージ姿で庶民的な親しみやすさを演出していたが、韓国版のユン・イランは、煌びやかな衣装に身を包み、ラグジュアリーな空間で詐欺を仕掛ける。
これは単なる衣装の違いではなく、「詐欺師=スタイリッシュヒーロー」として描く韓国ドラマの美学が反映されているように思う。日本では「親しみやすさ」や「日常感」が重視される一方、韓国では「非日常」や「カタルシス」が求められる傾向がある。詐欺という行為が、腐敗構造や格差社会への批評として機能している点も、韓国版ならではの深みだった。
このような演出の違いは、単なる文化的嗜好の差ではなく、視聴者が「何に共感するか」「どこに痛快さを感じるか」という価値観の違いを映し出している。日本版では、軽妙な騙し合いとユーモアが中心だが、韓国版では、社会構造への批判とスケール感が物語を支えている。
韓国では近年、『SKYキャッスル』『D.P.』『未成年裁判』『パラサイト』『ザ・グローリー』など、社会問題を真正面から描いたドラマや映画が大ヒットを記録している。学歴社会、兵役制度、未成年犯罪、階級格差、復讐といった重いテーマが、エンタメとして消化されるだけでなく、視聴者の怒りや共感を呼び起こす装置として機能しているのだ。
これは、韓国社会が抱える構造的な不満や不安が、物語を通じて「代弁」されることへの強い欲求を示している。詐欺師が腐敗した権力者を出し抜く『コンフィデンスマンKR』の構造は、まさにその代弁装置として機能していた。つまり、韓国版の詐欺師は単なるトリックスターではなく、「社会的正義の代行者」として描かれていたのだ。
どちらも「信用詐欺師」という枠組みを使いながら、まったく異なる物語を語っている。日本版が「騙し合いの妙」を楽しむ娯楽だとすれば、韓国版は「騙しによる浄化」を描く社会批評だったと言えるだろう。
そして、この『コンフィデンスマンKR』は、海外フォーマットセールスの成功例としても注目すべき作品だ。原作はフジテレビ制作のオリジナル脚本であり、韓国版は公式リメイク。2025年9月6日からAmazon Prime Videoで世界同時配信がスタートし、韓国ではTV ChosunとCoupang Playでも放送された。毎週土曜・日曜に1話ずつ公開され、全12話が10月12日に完結した。
放送局が海外フォーマットセールスに力を入れる背景には、国内市場の縮小や制作費の高騰、そして海外展開による収益多角化の必要性がある。だが、それだけではない。国や文化が異なっても、人間の欲望や正義感、騙し合いのスリルといった「物語の構造」には普遍性がある。だからこそ、作品の骨格を保ちつつ、演出やキャラクター、社会背景を現地に合わせて大胆にローカライズすることで、各国の視聴者に響くリメイクが可能になる。韓国版はまさにその好例であり、これは単なる「翻訳」ではなく「再創造」と呼ぶべきだろう。
『コンフィデンスマンKR』が残したものは、単なる娯楽以上の価値がある。
良質な作品に出会ったときのロスは、作品が心に残った証。そして、海外フォーマットセールスは、単なるビジネスではなく、文化の対話でもある。
日韓の演出文化の違いを浮き彫りにしながら、物語の普遍性を証明したこの作品。次はどんな国で、どんな「コンフィデンスマン」が生まれるのか──その可能性に、心が躍る。
「K-POP JOURNAL」HPより