【今日のタブチ】『月曜から夜ふかし』放送倫理“違反”を考える――「面白さ」のために越えてはいけない《一線》と、現場への《エール》
日本テレビ『月曜から夜ふかし』が放送倫理違反と認定された。
問題となったのは、2025年3月24日放送回での街頭インタビューだ。中国出身の女性が「カラスを食べる文化がある」と発言したかのように編集されたが、実際にはそのような発言はなかった。
この編集によって、取材対象者はSNS上で誹謗中傷を受ける事態となり、BPO(放送倫理・番組向上機構)は「事実に基づかない虚偽の内容を放送した」として放送倫理違反を認定した。
BPOはさらに、外国の文化に対する誤解を助長し、取材対象者の尊厳を損なった点を問題視。制作幹部が編集の恣意性に気づかず、チェック体制が機能していなかったことも指摘している。
この件については、番組のディレクターが「オチが甘いと失敗とされ、次がないと思った」と証言している。これは、私自身の経験からも非常によく理解できる。BPOはこの証言についても言及し、「笑いやオチを優先させる組織風土が不正リスクの軽視につながった」と分析している。つまり、個人の判断だけでなく、番組制作全体に漂う空気が問題の根底にあるという指摘だ。
かつて秘境のドキュメンタリーを制作した際、初めて訪れる土地で「このまま面白い内容が撮れなければ、番組が飛ぶ」と恐怖におののいたことは一度や二度ではない。現場のディレクターにかかるプレッシャーは、想像以上に苛烈だ。
「こういう撮影だと面白いよ」「こう編集したらウケるよ」といった“悪魔のささやき”が、罠のように忍び寄ってくる。そうしたときに、過剰演出が生まれる。ディレクター本人の倫理観やリテラシーが問われるのは当然だが、それ以上に、周囲の空気や組織的な構造が「面白さ至上主義」の圧力を生み出していることも見逃してはならない。
そして今回の「中国人がカラスを食べる」という編集は、どこかしら外国人としての中国人を卑下するニュアンスを帯びていたように感じる。笑いの文脈に乗せられたことで、差別性が曖昧になり、視聴者の無意識に刷り込まれてしまう危険性がある。
こうした演出は、昨今の「日本人ファースト」的な空気が社会に蔓延していることとも無関係ではないのではないか。私は秘境のロケに赴く際、現地が日本より豊かとは言えない環境であっても、「相手へのリスペクトを忘れないようにしよう」と常に心がけていた。文化や生活様式が異なるからこそ、敬意を持って向き合うことが、メディアに携わる者の基本姿勢だと思っている。
バラエティ番組であっても、公共の電波を使う以上、事実性と倫理性は不可欠だ。笑いのために編集を加えることはあるにせよ、それが虚偽や誤解を生むものであってはならない。「面白さ」と「誠実さ」は本来、対立するものではない。むしろ、誠実な視点から生まれる笑いこそが、視聴者の信頼を得る。制作現場がそのバランスを保てるよう、構造的な支援と対話が必要だ。
こうした事件が起こると、「またテレビ局が」「やっぱりな」といった先入観が強調されがちだ。
しかし、現場の多くのクリエイターは、まじめに、誠実に、コツコツと番組を作っている。私もそうした仲間と数多く仕事をしてきた。一部の過ちが業界全体の信頼を損なうことは避けたい。だからこそ、問題を指摘するだけでなく、現場の努力と葛藤にも目を向ける必要がある。この事件は、単なる編集ミスではなく、構造的な問題を映し出している。面白さを求めるあまり、越えてはいけない一線を越えてしまう――その背景には、現場の重圧と空気がある。私たちは、制作現場の声に耳を傾けながら、メディアのあり方を問い直す必要があるのではないか。
現場のクリエイターは、こうした事件が報道されるたびに「またか」と言われる空気の中で、萎縮しがちだ。真面目に取り組んでいる人ほど、自分の仕事まで疑われるような気持ちになる。でも、私はそうであってほしくないと思う。誠実に向き合っている人たちこそが、メディアの未来を支えているのだから。
そして、現場で日々格闘しているクリエイターたちには、今回のような出来事によって必要以上に委縮してほしくないとも思う。むしろ、こうした問題が明るみに出たからこそ、より誠実で創造的な表現を模索する契機にしてほしい。
「面白さ」と「誠実さ」は両立できる。その信念を持ち続けることが、これからのメディアにとって何よりの希望になると、私は信じている。
「日テレNEWS NNN」より