【今日のタブチ】インド‐パキスタン国境地帯「南アジアの火薬庫」で紛争が勃発~子どもを含む26人が死亡、46人が負傷~現地カシミール地方の無事を願う

インド軍は7日、パキスタン領内の「テロ組織の拠点」をミサイルで攻撃した。両国が領有権を争う、いわゆる「ノーマンズランド」のカシミール地方で4月に起きたテロに対する報復措置とみられている。これによって、子どもを含む26人が死亡、46人が負傷したと発表された。パキスタン軍は反撃し、インドの戦闘機を撃墜した。
「南アジアの火薬庫」といわれる両国による軍事的な緊張が一気に加速した。しかも、両者とも「核保有国」である。
このカシミール地方には私は強い思い入れがある。いまからおよそ30年前の1994年、まだ外国人の立ち入りがかろうじて「特別許可」というかたちで許された(それでも取材許可取りに2年の歳月を要したが)このエリアに、私は取材で入った。インドの辺境ラダック、そしてそのさらに奥地のザンスカールにはチベット仏教が色濃く残り、厳しい自然環境の中で少数民族の人々が独自の文化を育んでいた。その様子をどうしても撮影したいと考えたからだ。
その時に出会った人々の笑顔や、子どもたちの屈託のない笑い声がいまでも思い出される。そんな〝ごく普通の〟人々が犠牲になったのだろうと思うと心が痛い。
インドーパキスタン国境地帯には、何度か取材に向かった。2度目はパキスタン側の「トライバルエリア」である。別名「連邦直轄部族地域」といわれるその地域は、パキスタン北西部にかつて存在した。パキスタンで最も辺境の地域と言われ、憲法によって事実上現地の部族による自治が認められていた。そのためパキスタンの法律制度が行き渡っておらず、犯罪行為が横行しテロ組織や反政府武装勢力の温床となっていた。そのときは「ガイアの夜明け」の取材で日本のNGO物資がこのトライバルエリアで洗浄され横流しされている実態を撮影に行った。その武勇伝や危険なことは今回は省く。
インドーパキスタン国境地帯とはそんな場所だ。そこでの国際活動は困難かつ、難航を極める。かつてこのエリアの緊張が高まった際に、自制を求めて奔走したのがアメリカのブッシュ(子どもの方)政権だった。当時の国務長官ポンペオ氏は回顧録で「核戦争の寸前だった」と述べている
このようにかつてはアメリカが仲介役を担っていた。しかし、いまのトランプ氏にそれを期待することはできない。現にトランプ氏は「彼らは何十年、何百年と戦ってきた。早く終わることを望むだけだ」と他人事のようなコメントをしている。
私たち日本人にとっても「他人事」ではない。核のボタンに指がかかっていることを認識すべきだろう。

「TBS NEWS DIG」より

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