【今日のタブチ】トランプ氏が文化・芸術にまで介入ー「歴史修正」の危機に声を上げる/芸術はメディアだ
関税政策でいろいろ世間を騒がせている“トンでも”大統領、ドナルド・トランプ氏だが、とうとう文化の領域にまで口を出し始めた。
トランプ氏による文化・芸術への介入は、単なる政治的動きではない。それは「歴史修正」という名の語りの再編成であり、芸術が担うメディア性への直接的な圧力でもある。
芸術は、記憶と問いの場である。だからこそ、声を上げる必要がある。
今朝の新聞によると、トランプ氏は「米国は特別な国」という歴史観に乗っ取って、博物館の展示を見直すように圧力を強めているという。経済政策の暴走にとどまらず、歴史の語りの構造にまで手を出すその姿勢に、私は強い危機感を覚える。
たとえば、ワシントンD.C.のスミソニアン博物館群では、アメリカ先住民の迫害や奴隷制度を扱った展示に対して、「過度に否定的だ」「国家の偉大さを損なう」として、展示の再構成を求める声が政権側から上がっている。ニューヨークのアメリカ自然史博物館でも、移民の歴史を扱った展示に対し、「アメリカの繁栄を脅かす印象を与える」として、削除や編集の要請がなされた。さらに、スミソニアン航空宇宙博物館で計画されていた原爆投下に関する展示──とりわけ広島・長崎の被害を扱う企画──に対しても、「反米的偏見だ」「退役軍人への侮辱だ」として、展示の中止や内容変更が求められた。結果として、原爆の惨状には一切触れない展示となり、館長が辞任に追い込まれる事態にまで発展した。
こうした動きは、展示内容の変更という表面的な問題にとどまらず、文化的語り──とりわけ歴史や芸術表現の構造──そのものを単一化しようとする危険な兆候である。
博物館は、過去の事実を多角的に提示し、来館者に思考の余地を与える場である。そこに一方的な歴史観を押し付けることは、知的自由の侵害であり、文化の多様性を損なう行為にほかならない。展示に介入することは、すなわち「歴史修正」への第一歩である。
このような文化への政治介入は、歴史的にも危険な前例を持つ。ナチス・ドイツのアドルフ・ヒトラーは、抽象画や表現主義などの近代芸術を「退廃芸術」として排斥し、国家の美学にそぐわない作品を焼却・追放した。芸術は国家の道具ではないという原則が、あっさりと踏みにじられた瞬間だった。
日本でも、戦時中には一流画家たちが戦争画を描かされ、プロパガンダの一翼を担った。芸術が国家の意志に従属することで、表現の自由は失われ、文化は均質化し、批判精神は封じられる。語りの多様性が奪われるとき、社会の記憶は歪められ、未来への思考は貧しくなる。
「メディアアート」とは本来、映像やデジタル技術などを用いた芸術表現を指す言葉だが、その語が示唆すように、芸術とはメディア──すなわち、思想や感情を社会に伝える媒介であると私は考えている。作り手の信念や思想が込められ、情報として社会に発信される──その意味では、番組や報道と何ら変わりはない。したがって、芸術への政治的介入は、メディアへの介入にほかならない。
かつてメディア人であった私としては、このような介入は断じて許しがたい。語りの自由、表現の自由、そして歴史の多様性を守ることは、文化に携わる者の最低限の責務である。語りの構造に手を加えることは、社会の記憶そのものを改ざんすることに等しい。
アメリカでの出来事だからといって、高みの見物を決め込んではいけない。たとえ、他国や遠い国で起こっていることであったとしても、見逃してはならない。
私たちは、「語りの自由」「歴史解釈の自由」を守るために、文化への介入に対して声を上げ続けなければならないのだ。
「読売新聞オンライン」より