【今日のタブチ】ハーバード大学の留学生を認めないトランプ政権~前代未聞のアカデミーへの「冒涜」か、はたまた「衆愚政治」の始まりか
トランプ政権は、ハーバード大学の外国人留学生の受け入れ資格を取り消す決定を下した。この措置によって、ハーバード大学は新たな留学生を受け入れることができなくなり、すでに在籍している留学生も他大学へ転籍しない限り米国滞在資格を失う可能性がある。
まったく前代未聞の酷い「愚行」だ。この決定は、大学の学術的自由や国際的な競争力に影響を与える可能性がある。それどころか、大学教育における〝世界的な〟損失だ。
ハーバード大学はこの措置に対し、憲法修正第1条の「言論の自由」を侵害するとして提訴し、連邦地裁は政権の措置を一時差し止める決定を下した。当然と言えば「当然の措置」だろう。日本人留学生100人以上を含む約6800人の学生も影響を受ける可能性がある。日本政府も抗議をするべきだ。
一方、東京大学はハーバード大の留学生を一時的に受け入れる方針を固めたと報じられているが、こういった大学相互間の援助体制はとても重要なことであり、評価できる。
「アカデミーへの冒涜」とは、学問や教育機関の価値を軽視し、その尊厳を損なう行為を指す。一国のリーダーがこれをおこなっているということは、どういうことか。国が「愚か」になってゆくことを良しとしていることにならないか。トランプ氏自身がそれを理解していないとしたら、すでに思考の「末期症状」と言っていいだろう。
しかも、その理由がまたばかげている。トランプ氏はハーバード大を「極左」と呼び、パレスチナ自治区ガザの戦闘を巡ってイスラエルに抗議する学生デモを「リベラルの狂信者」とまで批判している。この行為が反ユダヤ主義を助長しているというのだ。言論の自由や学生の自主性もあったものではない。また、中国からの留学生が最多であることを取り上げ、「中国共産党に協力している」と指摘する。まったく論理が破綻している。
歴史的に、政府や権力者が学問の自由を制限し、アカデミーへの介入を行った例は数多くある。例えば、近年(2013年以降)では、ロシアやトルコ、ハンガリーにおける科学アカデミーやナショナル・アカデミーに対する人事介入がおこなわれた。また、1920年代の戦後の混乱期のイタリアにおいて、ムッソリーニ政権が自ら「王立イタリアアカデミー」を設立し、会員にファシズムへの忠誠を誓わせたという事件があった。
世界の遠い国だけの話ではない。日本においても、2020年に学術会議において政府が特定の会員の任命を拒否したことで、学問の自由の議論が巻き起こった。
これらの事例は、学問が政治的な影響を受けることがある「危険性」を示唆している。学問の独立性を守ることは、知識の発展や社会の進歩にとって重要な課題である。つまり、学問が政治の影響を受けてしまうと、社会は後退するのだ。
いわゆる、「衆愚政治」化してしまう。
「衆愚政治」とは、知識や情報よりも、感情や人気に左右された政治のことだ。「デマゴーグ」と呼ばれる政治家が、民衆の感情や偏見に訴え、政治的目的を達成しようとする状況を指す。古代ギリシャの哲学者プラトンやアリストテレスは、民主政治が衆愚政治に陥る危険性を指摘していた。衆愚政治では、短期的な利益や感情的な決定が優先され、長期的な視点に基づいた政策が軽視される傾向がある。歴史的には、ナチス・ドイツの台頭や古代アテナイの民主政治の崩壊などが衆愚政治の例として挙げられるが、まさにいまのトランプ政権の状況に当てはまらないだろうか。
だが、そこで肝要なのは、衆愚政治に陥るかどうかは大衆や国民次第であるということだ。無知な民衆が感情や扇動に流されて合理的な判断を欠いてしまえば、衆愚政治を招いてしまう。
ナチスの再来を防ぐためには、世界すべてが声を挙げなければならない。私たちアカデミーに携わる教員一人ひとりもそういった意識を持っていたいものだ。
「日本経済新聞デジタル」より