【今日のタブチ】フジテレビが港前社長らを提訴――パフォーマンスか、出来レースか……体制側が繰り返す「トカゲの尻尾切り」

やはり今朝はこの話題について、書かねばなるまい。
フジテレビの第三者委員会が認定した元タレント・中居正広氏の「性暴力」を巡る一連の問題で、フジテレビが港浩一前社長と大多亮元専務に損害賠償を求めて提訴した。理由は、同社の元アナウンサーの女性への適切な対応を怠り、会社への重大な影響を回避する対策を講じなかったというものだ。
計50億円というその額の大きさに驚いた人も多いだろう。だが、私はいずれこういう流れになるだろうと想定していた。フジのCM出稿停止はいまだに厳しい状況だ。たとえば、2024年12月以降、主要スポンサー10社中8社が出稿を停止。広告収入は前年比マイナス35%という報道もある。フジはこの流れを少しでも変えたい。となれば、「旧体制(日枝体制)」との決別をアピールしてゆくしかない
その一番わかりやすいかたちが、日枝氏のもとでフジを支え、日枝氏に重用された人物を切り捨てることであることは明白だ。もしかすると、フジ側と港氏や大多氏側とは、事前に何らかの話し合いがあり、互いに了解のうえで今回の提訴に踏み切った可能性もある。そう考えるならば、これは「パフォーマンス」であり、「出来レース」と見なす向きがあっても不自然ではない。
もちろん、50億円という金額は個人で払えるものではない。だが、会社の取締役は通常、D&O保険(Directors and Officers Liability Insurance)に加入している。これは、企業の役員が職務上の過失で訴えられた場合に備える保険で、実際、上場企業の約9割が導入済みとされる(経済産業省調査より)。そして重要なのは、この保険が退任後の元役員にも適用されるケースが多いという点だ。保険期間中に役員であった者が、在任中の職務に起因して訴えられた場合、退任後に訴訟が起こされても補償対象となる。さらに、近年では会社が元役員を訴える「会社訴訟」も補償対象に含まれるプランが一般化している。つまり、港氏や大多氏がすでに退任していても、保険で損害賠償額を賄える可能性は高い。その場合、彼らは1円たりとも身銭を切ることなく、“責任を取った”という構図だけが残る。それを、責任と呼べるのだろうか。
そう考えると、両者の間に「賠償額は保険で補えますから、今回は訴訟というかたちを取らせてください」という会話が交わされていたとしても何ら不思議ではない。それが、私が「パフォーマンス」「出来レース」と呼ぶゆえんである。
そして問題はここからだ。
会社とその取締役であった人物との線引きは曖昧で、難しい。「同社の元アナウンサーの女性への適切な対応や会社への重大な影響を回避する対策をおこなった」という責任という意味においては、当時、取締役であった清水賢治社長にもあるのではないか。その清水氏が体制側にいるからと言って、当時の同胞を切り捨てるような行為は、私に違和感しか抱かせない。
この訴訟は、制度の「責任分散装置」として機能しているように見える。誰かが責任を取ったように見せることで、制度そのものの欠陥を覆い隠している。だが、制度は人によって運用されるはずだ。ならば、「制度の顔」である清水賢治氏の責任は、なぜ問われないのか。さらに言えば、親会社フジ・メディア・ホールディングスの金光修氏も、報酬減額などの対応を取ったものの、構造的責任の所在は曖昧なままだ。清水氏、金光氏、そして当時の経営陣複数名が、組織としてこの問題にどう関与していたのか。なぜ、港氏や大多氏だけが断罪されるのか? これはもはや個人の過失ではなく、組織ぐるみの構造的な責任である
トカゲの尻尾切り……そんな言葉も改めて頭に浮かぶ。
何度、このトカゲは尻尾を切られるのか。切られるたびに「再生」するふりをして、実は同じ体質を温存しているだけではないか。トカゲの尻尾と同じく、「切った」という行為だけが残るが、生えてくる尻尾が同じものだと意味がない。しかも、痛みを感じるのは尻尾ではなく、切られた者たちだ。だが、体制という胴体は、痛みを演出することすら忘れている。いや、忘れているのではなく、演出することにすら倦んでいるのかもしれない。切ることが目的化し、再生の中身は問われない。そんな制度の“無感覚”こそが、いま最も問われるべきではないか。
このトカゲは、どこまで切られれば済むのか。そして、誰がその切断を演出しているのか。私は、そこにこそ問いを向けたい。

「日テレNEWS NNN」より

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