【今日のタブチ】マダガスカルの《軍事クーデター》と、あの笑顔の記憶――遠い国の「痛み」を見過ごさないために
マダガスカルで軍部が武力をもって政権を掌握したという報道を目にした。明らかな「軍事クーデター」だ。
断水や停電が続く中、若者たちの抗議デモが全国に広がったが、それに乗じる形で軍の精鋭部隊が動き、政権の交代を強行した。大統領は国外へ逃れ、議会は弾劾を可決。これは単なるクーデターではない。軍が民意を装い、武力で政治を掌握したという歴然とした事実がある。その過程で犠牲になったのは、生活の場を奪われ、声を上げるすら許されなかった庶民たちだった。
このニュースを読んで、私は1993年に『最後のアフリカ 神秘の島・マダガスカル〜民族の心の歌を聴け』という番組の制作で訪れた現地の記憶がよみがえった。首都アンタナナリボからマダガスカル全土を巡り、マダガスカルの生活や自然との共生の様子を取材した。そこには、優しい笑顔、丁寧なおもてなし、そして日本の田舎を思わせる穏やかな時間が流れていた。
突然訪れた撮影班を歓迎するように、子どもたちは歌を歌ってくれ、家族は手作りの料理でもてなしてくれた。言葉は通じなくても、心は通じているように感じた。
マダガスカルはアフリカ大陸の南東沖に浮かぶ孤島である。長い歴史の中で独自の進化を遂げた。キツネザルやカメレオン、そして絵本の世界から抜け出してきたようなバオバブの巨木など、世界でもここにしかいない「固有種」が数多く存在する。バオバブは乾燥地に生きる生命力の象徴であり、現地の人々にとっては神聖な存在でもある。バニラの世界供給の約8割を担う農業国でもあり、自然の豊かさと人々の素朴な暮らしが共存している。
不思議なのは、現地の人々の顔立ちがどことなく日本人に似ていたことだ。
これは偶然ではなく、古代にマレー系の航海民がボルネオ島から渡来したという言語学・人類学的な説がある。実際、マダガスカル人のDNAには東南アジア系の要素が含まれており、言語にもマレー・ポリネシア語系の痕跡が確認されている。標準マダガスカル語(メリナ方言)では、米飯を「ヴァリ(vary)」、おかずを「ラウカ(laoka)」と呼び、語源的にもアジア系言語との関連が指摘されている。
文化的にも似通った点は多い。マダガスカルでは米が主食であり、年間の米消費量は日本の2倍以上。稲作は棚田で行われ、食卓にはご飯と汁物、野菜・肉料理を組み合わせた「マダガスカルプレート」が並ぶ。伝統料理「ロマザバ」は野菜と肉を煮込んだスープで、ご飯にかけて食べるスタイルは日本の家庭料理にも通じるものがある。
ある村では「海の向こうに祖先がいた」という伝承が語られており、こうした文化的・歴史的背景を踏まえると、マダガスカルの人々が遠い親戚のように感じられるのも不思議ではない。
そんな穏やかな人々が暮らす国で、軍による政権掌握という現実は、どうしても結びつかない。私が出会った家族の笑顔、子どもたちの歌声、手作りの料理の温かさ。それらを思い出すと、今の混乱が一刻も早く収束し、彼らの平和な日常が戻ることを願わずにはいられない。
マダガスカル――日本から遠く離れた島国の出来事は、私たちにはどこか「他人事」に見えるかもしれない。だが、穏やかな日常が突然奪われるという現実は、決して遠い世界の話ではない。むしろ、平和に慣れた私たちこそが、こうした暴力の兆しに鈍感になってはいけない。遠い国の痛みを見過ごすことは、「暴力は自分とは無関係」という思い込みを育てる。それは、社会の脆弱性に気づく力を鈍らせ、いざという時に自国の危機に備えられなくなるということだ。
「日テレNEWS NNN」より