【今日のタブチ】多摩美術大学での嬉しい再会――芸術家・尹煕倉氏が世界の川の「砂」で描き出す『Sand River Works 砂の流れ』
昨日は、嬉しい再会があった。
私は兵庫県出身で、龍野高校という高校に通っていた。その同期に、現在、多摩美術大学の教授を務めている尹煕倉(ユン・ヒチャン)氏がいる。どうも、私は当時のように「平沼君」と呼んでしまうのだが、その彼と久々に会った。
東京に出てきている高校同期のグループLINEで、彼が学内展をやることを知ったことがきっかけだ。多摩美工芸学科の「世界をつくるもの、をつくる」という専任教員6名による展覧会である。ガラス、陶、金属を素材にそれぞれが一線の作家として重ねてきた革新的な活動を作品や資料で紹介するというものだ。
平沼君とは、数年前に同期会で会ったきりだ。銀座のギャラリー小柳で開かれた「『ある』の風景」という個展のときの衝撃が忘れられず、久々に彼の作品を観たいと思った。そして昨日17日、多摩美に出かけて行ったのだった。
事前に連絡したときは、「その日は残念ながら、出かける用事があって不在」と聞いていた。だが、私が会場を訪れると、平沼君の姿があった。ちょうど出かける用事がキャンセルになったという。思いがけぬ「嬉しい偶然」だった。
卒業生を応対していた平沼君は、突然訪れた私のために作品の解説をしてくれた。
彼は、ここ数年、世界の川を巡り、その源流から河口まで移動しながら砂を採ってきて焼き、絵の具を作って描くという活動をおこなっている。『Sand River Works 砂の流れ』と名付けられたそのプロジェクトは、「その場所にある材料で、その場所のことを現す」というテーマのもと、現在までに鴨川や私たちの田舎・たつの市の揖保川といった国内の砂をはじめ、旅をしながら「陶」でしか成し得ない独自の表現を探求し続けている。その「現場主義」的な制作スタイルには大いに共感する。
今回の作品は、フランスのセーヌ川、イギリスのテムズ川、そして日本の淀川を取り上げていた。掲示してあった地図を見ると、セーヌ川だけでも17か所もの場所を訪れている。海外ドキュメンタリーを長年手掛けてきた私には、その大変さがよくわかる。しかも、そんなに広範囲にわたって移動しながら、砂を集めるというのはとても根気がいる作業だ。トラブルもあるだろう。いつも私は海外の取材時には「6割撮れたら御の字」と自分に言い聞かせていた。
会場には、砂を集めている様子やその場所の風景の写真も展示してある。収集した砂を何度で焼いたらどんなふうになるかという実物も見られる。同じ砂に思えるものが、焼くと全然違う色や質感に変化するさまには驚いた。ふと、ワインでも上流と下流で全く違うものができることを思い出した。
そしてそれらの砂を使って描かれた3点の作品は、どれも素晴らしかった。彼の作品は、絵画でも陶器作品でもない。多様性の時代にふさわしい「現代美術」なのだと感服した。セーヌ川からは「静寂」、テムズ川からは「力強さ」、淀川からは「賑やかさ」を感じた。それぞれが個性があり異なってはいるが、不思議と3つの調和も取れている。作品群からは、現地の音や人々の声といった「生活の息吹」が感じられた。人々が働く様子、食卓の風景、家族の団欒など・・・。私の頭の中にそんな様々な風景が浮かんでくるようだった。
彼がその大地に立ったからこそ感じ取った、“生で”“リアルな”風景と言っていいだろう。その恐ろしいまでの感性に舌を巻いた。同じ「白」に見える色も、微かなグラデーションがあり、その微妙な違いの重なりが作品に奥行きを与えていた。おそらく、観る者のそのときの気持ちや体調などによって、見え方が違ってくるであろう見事な表現だ。
最後にもうひとつ、サプライズがあった。平沼君が学内を案内してくれたのだ。忙しいなか、アトリエや焼き窯、学生が作業をしている様子などを見せてくれ、最後はわざわざ学内のバス停まで送ってくれた。映像もそうだが、「作品は人を表す」という。バスに乗り込んだ私に手を振ってくれた平沼君の優しさや気遣いが、見事に表れている作品だった。
いいものを見せてもらった……嬉しく高揚した気持ちで、私は帰途についた。
工芸学科「世界をつくるもの、をつくる」は、多摩美のキャンパスで、21日㈫まで開催されている。尹煕倉氏の3作品を観るだけでも、足を運ぶ価値がある。
HP☛https://www.tamabi.ac.jp/news/96014/
左上:採集した砂と焼き具合 左下:作品3点
右側上から、セーヌ川、テムズ川、淀川