【今日のタブチ】子どもに大人気の「麻雀」は「頭脳スポーツ」か?─ブームの陰に潜む「リスク」とその盛況ぶりだけを報じるメディアの「責任」を考える

今朝の新聞に「麻雀、子どもに人気」という記事が掲載されていた。かつては賭け事の象徴だった麻雀が、今や子どもたちの間で「知的スポーツ」として脚光を浴びているというのだ。
そこには、かつて賭け事の象徴だった麻雀が、今や親も勧める「頭脳スポーツ」として再評価され、入門教室が満員になるほどの盛況ぶりが紹介されていた。ある民間団体の調査では、10代の競技人口は2023年の時点で78万人。2019年と比べると3倍以上になっているという。
競技麻雀のプロリーグ「Mリーグ」が2018年に発足し、インターネットテレビでの中継が始まったことも人気に拍車をかけた。さらに、女子高生が競技麻雀に挑む漫画『咲-Saki-』の影響もあり、低年齢化と女子の参入が進んでいる。
医師・東島威史氏の調査では、麻雀を習い始めた6〜15歳の子ども20人のIQが平均8ポイント上昇したという。特に「言語理解」や「処理速度」が向上し、世代を超えた交流や相手の思考を読む力が、コミュニケーション能力や想像力を刺激するとのことだ。こうした報告を読むと、麻雀は教育的にも有益な「知的ゲーム」として、無条件に推奨される空気すら漂っている。だが、私はそこに一抹の不安を覚える。子どもたちが「リーチ!」「はい、ツモ!」と無邪気に声を上げる映像を見るたびに、私はふと、空恐ろしさのような感覚を覚えてしまうのだ。勝敗の快感や逆転のスリルが、脳の報酬系を刺激する構造を持つゲームである以上、教育的効能の裏に潜む依存性のリスクにも、慎重な目を向ける必要があるのではないか。
麻雀は偶然性と戦略性が交錯するゲームであり、金銭を賭ければ刑法上の「賭博罪」に該当する。たとえ少額でも、常習性が認められれば「常習賭博罪」となり、懲役刑の対象となる。また、勝敗がもたらすスリルや報酬への期待は、脳の報酬系を強く刺激し、依存症の引き金になり得る。
これは、かつて私がストーカー加害者を取材した際にも痛感したことだ。彼らの多くは、対象に接触したり、反応を得たりすることで脳内報酬系が活性化され、それが行動の「トリガー(引き金)」につながっていた。やめたくてもやめられない。理性ではわかっていても、報酬系が「次の一手」を促してしまう。
麻雀もまた、勝利の快感や逆転のスリルが脳を刺激し、繰り返しプレイしたくなる衝動を生み出す。それが金銭を伴えば、依存症や違法行為へとつながる危険性を孕んでいる。
スマホやゲーム機での麻雀アプリの普及は、オンラインカジノとの境界を曖昧にしている。無料版から有料版への移行は容易で、10代のオンラインカジノ認知度は30代を上回るという調査もある
フィルタリング義務は18歳までだが、少年法の賭博禁止は20歳未満。19歳という空白地帯が存在し、法制度の整備が追いついていない現状も見逃せない
「スポーツ」「知育」「コミュニケーション」といったラベルが、麻雀の本質的なリスクを覆い隠してしまう。ゲーム性が強調されることで、賭博性のあるコンテンツへの心理的ハードルが下がり、「見る雀」やeスポーツ化の演出が、麻雀を無害な娯楽として過剰に美化しているようにも見える。
麻雀の教育的価値や脳科学的な効果を否定するつもりはない。だが、賭博性や依存症のリスクを含むゲームである以上、メディアはその「負の側面」にも目を向ける責任があるはずだ。盛況ぶりだけを報じるのではなく、リスクを伝えることこそが、公共的な報道の役割ではないか
「頭脳スポーツ」としての麻雀を礼賛するだけでなく、子どもたちが安心して楽しめる環境をどう整えるか。その議論こそが、今必要とされているのではないだろうか。とりわけ、子どもは未来の社会を担う存在であり、彼らの脳や感性が過剰な刺激に晒されないよう慎重に配慮することは、私たち大人の責務である。

「NHK NEWSWEB」より

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