【今日のタブチ】時代や社会風潮を映し出す「ラテ欄」~〝大仰な〟表現は逆に「引く」

私は毎朝、新聞を読む際に必ず「ラテ欄」を見る。ラテ欄とはご存じのように、毎日のラジオとテレビの番組表だが、新聞によってはラジオはないものや、一面をひっくり返したらラテ欄があるもの、そうでないものなど、さまざまだ。
なぜ、私が毎朝、ラテ欄を見るか。理由は3つある。
1.現役時代の癖・・・自分の放送がある日などは、裏の状況を改めて分析する。その癖が残っている。
2.見たい番組をチェックするため・・・私は現役テレビマンを退いた後も本学・桜美林大学でテレビ研究をしている。そのため、クールが変わるとほとんどのドラマを見る。その後は絞ってゆくが、ドラマ以外にもドキュメンタリーや気になる番組を視聴するためにチェックをする。
3.世相や社会風潮、時代を嗅ぎ取るため・・・ラテ欄には、その時代や社会風潮、世相が現れていると言っても過言ではない。
このラテ欄は、必ず10文字×行数と決まっている。そして行数は、時間枠の長さに比例する。1時間番組だと、10文字×6行=60文字。ラテ欄を決めるのはプロデューサーの仕事なので、締め切りが近くなるとプロデューサーは頭を悩ませることになる。
3.について詳しく話す。例えば、コロナ禍の折には何となくおとなしく自粛したような表現が目立った。バブルのときには、イケイケの表現が多くなったなどである。そして、その時々で、ラテ欄にも流行がある。局がお金を払うと、ピンクや黄色などの蛍光色の色掛けにしてくれるというのが流行った時期もあった。同時に、バックに文字を透かせたものも登場した。奇をてらって、真っ白な文字のないラテを打つ輩もいた。ミステリー小説さながら、ラテ欄の文頭を縦に読むとあるメッセージになっているものもあった。一時期は、「①〇〇〇 ②〇〇〇」といったように、丸数字で括るのが流行り、どこもかしこも毎日このタイプのラテが見られたものだった。
このように、「たかがラテ欄」といっても「されどラテ欄」である。世相を映し出しているのだから、ひとつの「文化」と言っていいだろう。「ラテ欄」学といった学問もあっていいと思うのだが、どうだろうか。
そして最後に、私がなぜ今日このラテの話題を持ち出したかということについて言及しておきたい。
テレビ朝日で今日から始まる21時放送の『PJ~航空救難団~』というドラマのラテが気になったからだ。だいたい、ドラマのラテは1行目がタイトル、そのあと2~3行で内容、最後に出演者という構成だ。気になったのは内容の部分である。
「命も心も救う‼究極のレスキュー‼」と、ここまではいい。しかし、そのあとに「救難員の絆と愛描く超大作‼」と続いていた。
配信はもちろんのこと、地上波でも『VIVANT』や『海に眠るダイヤモンド』などの壮大なスケール以上の「超大作」なのか。期待と同時に、正直「あまり風呂敷を広げ過ぎない方がいいのでは?」と心配になった。
かつてはこういった「ふかし」や「ぶち上げ」のラテは多かった。だが、いまの時代には合わないと私は思う。視聴者は「超大作」を見慣れているからだ。番組担当者には失礼ながら、逆に「信憑性が薄れるのではないか」と懸念する次第である。
じっくりとお手並みを拝見することにしよう。

「番組HP」より

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です