【今日のタブチ】本来はいい意味のはず……「公正世界仮説」がSNS上で「要注意」の理由とは?

今日の新聞では、能登半島地震や能登豪雨の被災者に対して、SNSで誹謗中傷が相次いでいるという記事が目についた。
最初に述べておきたい。誹謗中傷ハラスメントであり、「犯罪行為」だ。正当性は1ミリもない。SNSで私を誹謗中傷した方々のなかにも「田淵は『誹謗中傷だ』と言うが、誹謗中傷などどこにも見当たらないではないか」といまだに主張している人がいる。そんな方には言いたい。ハラスメントとはどんな定義か?
また、XなどのSNSにはプレミア会員が自己のポストを削除できるという機能がある。あとで「あのコメントは言い過ぎたな」と思えば、誹謗中傷であったとしてもいくらでも証拠は消去できるというわけだ。
話が逸れた。今日の話題はこれではない。先に進みたい。

能登半島地震や能登豪雨の被災者に対して、SNSで誹謗中傷が相次いでいるということだった。その記事のなかで、国際大の山口真一氏が「公正世界仮説」について述べていた。
公正世界仮説とは、本来「良いことをした人には、良いこと」が、「悪いことをした人には、悪いこと」がもたらされるという考え方だ。つまり、人間のおこないに対して公正な結果が返ってくるという考え方で、社会心理学者のメルビン・ラーナーによって1960年代に提唱された。この理論の目指すところは、不透明な未来への恐怖心を克服するためのスキルであった。公正世界仮説には、次のような心理的効果があるとされている。「将来についてのポジティブなイメージを抱くことができる」「未来に期待を寄せることができる」「努力すれば明るい未来が開けるという思い込みが生まれ、前向きな生き方の原動力になる」などである。以上のように、公正世界仮説は良い使われ方をするために考え出された仮説である。
しかし、SNSの普及で過激な発言や偏見が「可視化されやすく」なったいま、公正世界仮説が強くなりすぎると逆に「認知バイアス」や「思い込み」を招き、「被害者批判」につながる可能性があるという。たとえば、社会を騒がすような犯罪が起こったときに「被害者にも問題がある」と言ったり、いじめが起こったときに「いじめられる側にも問題がある」といったようなようなものだ。
そして、それらの考え方が誹謗中傷につながってしまう……。

本来は、良いことに使われるはずの仮説がそんなふうになってしまっているのは悲しいことだ。

「ピクシブ百科事典」より

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