【今日のタブチ】東京の地下に眠る巨大防空壕は核シェルターになれるのか――都市の「記憶」が未来の「生存」を支える可能性

東京都北区・飛鳥山公園の地下に、巨大な防空壕が存在していたことが報道によって明らかになった。具体的な広さや築造時期などの詳細は未公表だが、太平洋戦争末期(1940年代)にこの地域には複数の防空壕が造られていた記録があり、1945年の東京大空襲に備えて都内各地で地下壕の整備が進められていたことを踏まえると、同時期に地形を活かして掘削された可能性が高い。
報道では「巨大な地下空間」と表現され、複数の横穴が連結した構造である可能性も示唆されている。ただし現時点では、公的資料や調査報告において、具体的な面積や収容人数などの数値は確認されていない。
このニュースを知って、私は率直に問いたくなった――この地下空間を、核シェルターに転用できないのだろうか。あるいは、そうした可能性を検討する機関や人々はいないのか
調べてみたところ、旧防空壕を核シェルターとして活用するには、技術的・法的・政治的に極めて高いハードルが存在する。転用の可能性と課題として、以下の点が浮かび上がった。
1.安全性と避難計画:長期滞在に耐え得る生活インフラ(換気・水・食料・医療)を整備するには、莫大な資金と時間がかかる。
2.構造の耐久性:旧防空壕は爆風や火災には一定の耐性があるものの、核爆発に伴う衝撃波・放射線・熱線・フォールアウトへの耐性には限界がある。
3.換気・浄化設備の未整備:NBCフィルターや独立電源・水源の整備は不可欠だが、旧防空壕にはそれらの設備は存在していない。
4.法制度と所有権:飛鳥山公園は東京都北区が管理する公共施設であり、地下施設の改修には行政的許可と予算措置が必要。
加えて、地下には飛鳥山古墳群も存在しており、地質・文化財的観点からも慎重な対応が求められる。
過去には長崎の爆心地周辺にあった防空壕が、核シェルターの原型として一部研究対象となったこともある。しかしそれはあくまで記録保存の対象であり、実用化を志向したものではなかった。また東京大空襲時、防空壕が「蒸し焼き状態」となり多数の犠牲者を出した記録もあり、旧式の防空壕を安全な避難場所とみなすには限界がある。
それでも私はあえて提案したい。国際情勢が不安定化し、災害への備えが求められる現代日本において、既存の地下空間を活用した防災インフラの整備は、都市政策上も再検討されるべき課題ではないか。平地の少ないこの国において、地形や遺構を活かす空間戦略は、公共財の活用につながるのではないか。
ここで見えてくる問いは、単なる施設転用の可能性だけではなく、都市における公共空間の意味の変容そのものである。かつて戦争の「記憶の場」として都市空間に刻まれた防空壕が、「生存の場」として生まれ変わるとしたらこんな素敵なことはない。

「東京新聞TokyoWEB」より

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