【今日のタブチ】海水浴は「医療行為」?――インド・ガンジス河の聖地との共通性……140年前の〝究極の〟PR戦略
今朝の新聞の「海水浴は元々、医療行為だった」という一文が目に留まった。意外に感じるとともに、140年前のその風景が目の前に広がったように感じた。
〝日本で初めて〟とされる大磯の海水浴場が開設されたのは1885(明治18)年。陸軍の初代軍医総監を務めた松本順という人物が、その設立を主導した。松本は、潮流で身体を刺激し、海辺の清涼な空気を吸うことで、病で弱った身体を癒せると説いた。そのため、人々は海の中の杭につかまって足を動かしたり、海辺で日光に当たったりしていた。その様子が、「大磯海水浴浜辺景 祷龍館繁栄之図」という浮世絵に残されている。確かに、この浮世絵を見ると、人々が荒波にもまれながら、必死に杭にしがみついている。
この様子を見て、私はある風景を思い出した。それは、ドキュメンタリーの撮影で訪れたインドでの光景である。ガンジス河のガート(階段状の河岸)では、沐浴のために杭につかまる人が多く見られる。ガンジス河は神聖なる川とされ、バラナシはヒンドゥー教徒にとって聖地であるからだ。多くの人々がこの聖地で沐浴をおこない、死者を火葬する儀式をする。意外とガンジス河の流れは急だ。激流のなか、必死に杭にしがみつきながら、手を合わせる人々の姿がいまでも忘れられない。
日本には楽しむために海で泳ぐという文化・風習がなかった。その事実も「目から鱗」だった。海は日々の糧を与えてくれる場所で、みそぎをして祈りを捧げる神聖な場所だった。そういった意味では、日本の海もインドの川も人々の暮らしの中で同じような役割を果たしていたのだ。そのことに私は、不思議な感慨を覚えた。
記事を読んでいて、もうひとつ興味深く感じた点があった。松本は、当時において「PR戦略」に長けていたということだ。五代目尾上菊五郎ら歌舞伎役者を招待して、大磯の海水浴場を盛り上げたという。さらに、海水浴場が登場する歌舞伎の台本を書かせ、「ポスター」まで描かせた。それが前述の「大磯海水浴浜辺景 祷龍館繁栄之図」だという。スター御用達のビーチは人々の憧れの場所となり、最先端のスポットになった。見事なプロモーション・宣伝だ。どの時代にも、「最先端の考え方」をする人がいるものだと感心した。
当時の人々が抱いていた海への感謝と畏敬の気持ち。それを今の私たちは忘れていないだろうか。そんなことを考えさせられた。
「Japaaan magazine」より
大磯町郷土資料館蔵