【今日のタブチ】芸能界と大麻――不祥事はなぜ繰り返されるのか、その“隠された”構造を問う
今日は、頻発している大麻に関する問題を考えてみたい。サントリーHDの会長、新浪剛史氏が大麻由来のサプリを使用したとして、退任に追い込まれた。同じ日に、俳優・清水尋也氏が大麻所持で逮捕された。清水氏はなかなか感情表現の豊かないい俳優だと思っていただけに残念だ。
この二つの事件は、単なる偶然ではない。いま日本では、大麻に関する不祥事が立て続けに起きている。2020年以降、大麻事犯の検挙数は増加傾向にあり、令和2年には5,260人が検挙された。そのうち65%が30歳未満。若年層への浸透は深刻で、SNSや音楽カルチャーとの接点も指摘されている。俳優、ミュージシャン、経営者、医療関係者──その広がりは、もはや一部の逸脱ではなく、社会の制度と文化の接点に亀裂が生じていることを示している。
この問題は芸能界においても顕著だ。1977年には井上陽水氏、研ナオコ氏、内田裕也氏ら十数名が逮捕された「芸能界大麻汚染事件」が社会を揺るがせた。以降も、ピエール瀧氏(2019年)、田口淳之介氏(2019年)、そして今回の清水尋也氏と、俳優やミュージシャンによる薬物事件は後を絶たない。これらは一過性の逸脱ではなく、業界構造に根差した連鎖と見るべきだろう。
芸能界における大麻蔓延の背景には、いくつかの要因がある。まず、創造性と精神的負荷の高さ。表現者としての振幅を求められる一方で、孤独やプレッシャーに晒される環境が、薬物を“補助線”として誘引する。次に、業界内の閉鎖的なネットワーク。1977年の事件が「芋づる式逮捕」と呼ばれたように、同じ供給ルートを共有することで、薬物が局所的に蔓延する構造がある。そして、社会的制裁の強さ。逮捕と同時に出演作の配信停止、CM契約解除などが即座に発動されることで、再出発の道が閉ざされ、「バレたら終わり」という恐怖が隠蔽や再犯を助長する可能性もある。
さらに、制度と文化の乖離も見逃せない。海外では合法化が進む一方、日本では厳しく規制されている。芸能人は海外との接点も多く、現地での合法的な使用経験が「日本でも問題ないのでは」という誤認につながる。新浪剛史氏の事件でも、CBD製品の使用がTHC混入によって問題化したように、制度の境界が曖昧であることが混乱を生んでいる。
いずれの事件も、個人の過ちとして片づけるにはあまりに多くの問題を孕んでいる。では、なぜこれほどまでに社会問題化しているにもかかわらず、大麻による不祥事はなくならないのか。
そこには、日本人の大麻に対する歴史的観念が横たわっている。かつて大麻は生活に密着した作物だった。縄文時代の遺跡からは麻繊維が出土し、明治期には米と並ぶ収入源として栽培されていた。衣類、漁網、神事、薬用──その用途は多岐にわたり、特に神社では「麻」は神聖な植物として扱われてきた。戦後、GHQの指令により栽培・製造が全面禁止され、大麻取締法が1948年に制定された。この断絶が「かつては合法だった」「文化的には無害だった」という曖昧な記憶を残した。
さらに近年の法整備の変遷が、社会の認識に揺らぎをもたらしている。2023年の法改正では、大麻由来医薬品の使用が条件付きで認められ、栽培免許も「製品用」「医薬品用」に分化された。一方で「使用罪」が新設され、単純所持罪の懲役も5年から7年に強化された。つまり、「医療用としては合法」「嗜好用は違法」という二重構造が生まれ、制度的には明確であるはずの境界が、文化的には曖昧なまま残されている。
この曖昧さは、タレントや俳優だけでなく、有識者の中にも「大麻は合法とすべき」と主張する者がいるほどに浸透している。とりわけ近年は、CBD製品の普及がこの混乱に拍車をかけている。
CBD(カンナビジオール)は、大麻草の茎や種子から抽出される成分で、精神活性作用や依存性がないとされる。抗炎症作用や不安軽減などの効果が期待され、医療やウェルネス分野で注目されている。日本では、成熟した茎や種子から抽出されたCBDは「大麻」には該当せず、規制対象外とされてきた。しかし、2024年の法改正により、CBD製品に微量でもTHC(テトラヒドロカンナビノール)が含まれていれば違法とみなされる可能性が生じた。THCは大麻草の花穂や葉に含まれ、精神活性作用を持つ成分であり、規制対象となる。
このように、CBDとTHCの違いを理解していない層が多く、合法と思っていた製品が実は違法成分を含んでいたというケースも少なくない。厚生労働省はCBD製品に含まれるTHCの残留限度値を定め、違反すれば「麻薬」として扱う方針を明確にしている。このCBDとTHCの境界が、まさに新浪剛史氏の辞任劇でも問われることになった。
新浪氏は記者会見で、「違法なサプリメントは所持も使用もしていない」と繰り返し否定し、購入したのは規制対象外のCBD製品だったと主張した。米国出張中に、健康上のアドバイスを受けた知人からCBDサプリを勧められ、時差ぼけ対策として購入したという。製品は自宅に届かなかったとし、「家族が廃棄したと思う」と説明。問題となったのは、知人が福岡県在住の弟を通じて送ろうとした2回目の発送分であり、そこにTHCが含まれていた可能性があるとして弟が逮捕された。
この一件は、CBD製品であっても、微量のTHCが含まれていれば違法とされる現在の制度の厳格さと、消費者の認識との乖離を浮き彫りにした。
例えば、医療用CBDの普及に伴い、「大麻=麻薬」というイメージは徐々に薄れつつある。厚生労働省の資料によれば、CBD製品の輸入量は2020年から2023年にかけて約3倍に増加しており、消費者の関心は高まっている。だがその一方で、CBDとTHCの違いを理解していない層も多く、誤認による使用や所持が事件化するケースもある。
つまり、問題の本質は「違法かどうか」ではなく、「何をもって違法とするか」という制度と文化の接点にある。大麻を巡る議論は、単なる薬物規制ではなく、日本社会が“曖昧さ”とどう向き合うかという問いでもある。
私たちは、大麻に対して「かつての生活作物」という記憶と、「現代の違法薬物」という規制の狭間で、曖昧なまま立ち止まり続けている。その曖昧さが、制度の隙間を生み、イメージ先行の理解を助長し、結果として不祥事の連鎖を生んでいるのだとすれば──今こそ、制度と文化の境界線を問い直す必要がある。
大切なのは、違法か合法かではなく、なぜ私たちはその境界を曖昧に保ち続けるのかということだ。その曖昧さが、誰かにとって都合のいい構造になっているとしたら──そうした可能性に目を向けない限り、私たちは不毛な議論の循環から抜け出すことができない。
「日テレNEWS NNN」より
すごく共感する記事でした。
「ダメなものはダメ」とか「周りに迷惑をかける行為だからダメ」とか「有名人の転落は何となくメシウマ」とか
そういうことで終わらせず、境界線の問い直しに向かうべき問題だと思います。
そして誰かの意図的な誘導には敏感でありたい、といつも思います。
(あと個人的にはGHQ絡みのことには抵抗を感じることだらけです^^;)
RK様
お久しぶりのご投稿、ありがとうございます。
仰る通り、物事を事象だけで観るのではなく、「なぜそういうことが起こっているのか」もっと言えば、「なぜその側面だけが目につくのか」を考えたときに、「情報操作」「メディアコントロール」という“見えざる手”が観えるときがありますね。その感性を研ぎ澄ませたいと思います。大麻に関する現在の規制も、単なる薬物管理ではなく、戦後の占領政策──とりわけGHQによる統治戦略の延長線上にあると見ることができます。1948年に制定された大麻取締法は、GHQの指令によって急速に整備されたものであり、それ以前の日本では大麻は生活作物として広く栽培されていました。神事、衣類、漁網、薬用──その用途は多岐にわたり、文化的にも根を張っていたのです。この背景には、アメリカの麻薬政策──とりわけヘンプ産業の抑制や、国際的な薬物統制の枠組み──が影響している可能性があります。アメリカでは、大麻はセルロースや繊維などで石油製品と競合する存在でした。1930年代のアメリカでは石油産業が急成長しており、代替資源としての大麻は排除すべき対象でした。大麻は「危険な麻薬」として社会的に排除され、石油・化学・製紙産業の利権が守られたのです。そのため、戦後の日本ではGHQの指令により「大麻=麻薬」として徹底管理する方針が採られました。1948年に大麻取締法が施行されましたが、それ以前は日本では大麻に罰則はなく、むしろ生活作物として奨励されていました。伊勢神宮の神事や縄文時代の遺跡にも登場するほど、日本文化に根付いていた大麻が、GHQ=アメリカの思惑で突如として「違法薬物」として再定義されたのです。田淵 拝