【今日のタブチ】長女の死体を20年間隠し続けた母親――「黒い報告書」まがいの事件に社会の“狭間”に落ちた人間の《業》を想う
今日の新聞も、さまざまなニュースが飛び交っていた。
自分の身に降りかかった災難を、国連の陰謀論にすり替えるある国の大統領。生活保護の減額を最高裁で「違憲」とされたにもかかわらず、いまだに解決に手をつけようとしないどこかの国の役人たち。万博を巡って、ビザに関する「排外主義」を公然と報じるテレビ局。力を持った特権階級による、目に余る権力の乱用が横行している。さらには、小中学生に「君が代」が歌えるか調査する“バカげた”市議会まで現れたり、市のトップである市長が不倫報道で涙を流す記者会見——「この国の地方自治体は大丈夫なのか」と心配してしまうような状況だ。
そんななか、私は社会面の片隅に載った、扱いの小さな記事が気になった。
茨城県で長女の死体を放置したとして、死体遺棄の疑いで75歳の女性が逮捕された。女性は、自宅の台所に大型の冷蔵庫を置き、そのなかに長女の死体を入れていたという。しかも、死体を入れたのは20年前。長女は生きていれば40代後半というから、死んだときには20代後半ということになる。容疑者の女性は現在一人暮らしだが、今月、夫が亡くなったばかり。もちろん、長女を誰が殺したのか、そもそも事故なのか事件なのか、という事実関係はあるだろう。
だが、私はさまざまな想像をしてしまう。
20年間、女性はどのような心境で長女が冷蔵庫に眠る同じ家に暮らしていたのだろうか。台所で料理もしていたのか。自分自身、嫌ではなかったのだろうか。そして、夫はこのことを知っていたのか……。疑問は尽きない。
ふと、あることを思い出した。昔、『週刊新潮』で連載されていた「黒い報告書」である。
「黒い報告書」は1960年11月21日号から掲載が始まり、現実に起きた事件を題材に、人間の愛憎や欲望が絡み合い事件へと発展していく物語が描かれた。芥川賞の候補となる新進気鋭の作家たち——たとえば重松清氏、志水辰夫氏、岩井志麻子氏、内田春菊氏、中村うさぎ氏、髙山文彦氏、杉山隆男氏、増田晶文氏などに加え、後年にはビートたけし氏も執筆していた。大学時代、私はこの記事を楽しみにし、食い入るように読んでいた。人間の「欲」や「業」ほど面白いものはない。
「黒い報告書」は一度1999年4月に終了したが、根強いファンの要望で2002年5月に復活し、現在も続いている。私の古巣であるテレビ東京の後輩・伊藤淳也氏はBSテレ東(当時はBSジャパン)に出向している際に、どうしてもこれを映像化したくて、3回にわたり6話をドラマとして放送を実現した。伊藤氏が警視庁記者クラブ出身ということもあっただろうが、その執念には脱帽する。
新聞の片隅に埋もれた「黒い報告書」は、今も私たちの社会の狭間を静かに告げている。
冷蔵庫の奥に眠っていたのは、長女の遺体だけではなく、語られなかった家族の記憶と、制度の網目からこぼれ落ちた孤独だったのかもしれない。
私たちは、何を「異常」と呼び、何を「日常」として受け入れているのだろうか。
その境界に沈んでいった人間の《業》を、私たちはどこまで見つめることができるのか。
見過ごすには、あまりに重い。
「Amazon」HPより