【今日のタブチ】「武器商人」になり下がった日本国—オ-ストラリアに殺傷兵器「FFM」を売るー国民としてこの事実をどう考えるのか
東京新聞の一面は、オーストラリアの汎用フリーゲート艦に「日本製」が内定したと報じた。
目を疑った。
とうとう、我が国は「武器商人」になり下がった。
日本が提案する海上自衛隊の最新鋭護衛艦「FFM」(もがみ型)をベースにした艦艇だという。FFMとは、対潜・防空能力を持ち、揚陸部隊や補給部隊などの護衛を任務とする艦艇フリゲートのFF(Frigate)に多目的(Multi -Purpose)と機雷(Mine)のMを足した多機能護衛艦という艦種である。長距離ミサイルを搭載できるため、殺傷能力がある兵器だ。
最も問題なのは、「防衛装備移転三原則」だ。これは防衛装備品(武器や防弾チョッキなど)の輸出や、海外への技術移転の在り方を定めた政府方針であるが、1976年の事実上の「全面禁輸」以降、安倍政権化に一定の条件下で解禁。岸田政権は殺傷能力のある武器輸出を容認している。
このように政府が独断で判断でき、国会の関与なく、指針を改定できる。国家の針路を変える重大な方針が、国民主権を経ずに転換されるとき、私たちはどうすべきなのか。民主主義とは、何を委ね、何を問う制度なのか。
かつて日本は、戦後の平和主義に基づき「武器は売らない国」として国際社会でのスタンスを貫いてきた。武器輸出三原則は、日本人の倫理的自画像とも言える「非軍事の外交」を支えていたのではなかったか。
私たちは、日本人としてもっと怒ってもいいいのではないか。
怒るとは、目を背けず、問い続けること。倫理の声を、抑止という名の沈黙に埋没させないこと。いまこそ、考えるという行為の公共性を取り戻すべき時だ。
賛成論者は中国への抑止力やアメリカとの安全保障協力を理由に、この武器輸出を正当化する。しかしそれは、かえって抑止力どころか「聖徳」のリスクと地域的緊張を高める可能性を孕む。
むしろ、「平和国家」の理念を剥ぎ取る象徴的転換ではないか——そのように感じずにはいられない。
「毎日新聞デジタル」より