【今日の新聞から】「地球防衛」であれば、「核の使用」は認められるのか?ー人類の領域を超えた傲慢な行為
都市をひとつ壊滅させられるほどの小惑星が地球に向かっていることが判明した場合に、どうするか。これまでは、探査機を小惑星に衝突させて地球に向かう軌道をずらすという方法が一般的だった。だが、いま核爆発を使った方法が模索されている。
9月24日付けで学術誌「Nature Physics」に発表されたその方法は、核爆発で生じるX線で小惑星の軌道をずらして地球への激突を回避するというものだ。さらに核爆発を使った研究は進められている。それはなぜか。
時間的に切羽詰まった状況では、軌道をずらす方法は間に合わないし不確実だ。また、小惑星が都市を破壊するレベルの大きさではなく、人類の文明を破壊するほどの大きさであったとしたら、X線をあてるだけでは効果がない。
だから、小惑星を破壊するしかないというのである。小惑星を粉々に破壊し、小さなかけらにしてしまえば大半は地球に降り注ぐことはない。もしくは大気圏で跡形もなく燃え尽きてしまう。
しかし、私はこの研究や考えに懐疑的である。研究者たちの名目は「地球防衛」だが、その実効性には疑問の声も上がるなか、研究は慎重に進めなければならないからだ。
さらには、地球を守る名目であったとしても核の利用は許すべきではないと私は考える。「名目」や「大義名分」というものを認めてしまうと、それぞれの国や個々人がそれぞれの「名目」や「大義名分」で核の使用を始めてしまう可能性があるからだ。
それ以上に思うのは、例えば小惑星が地球めがけて向かっていて、それが「アルバレス仮説」の恐竜のように人類を滅ぼすことになったとしても、それは「自然の摂理」であり、人類に課せられた「運命」なのではないかと考える。
加えて言うならば、私は「核の抑止」も幻想だと考えている。「俺の方がすごい武器を持っているぞ」と威張りあっても、相手が引き金を引かない保障はどこにもないからだ。
今回の総選挙の結果は、そういった政府の詭弁に国民が気がつき始めていることの証拠ではないだろうか。
「ForbesJAPAN」HPより
人間の活動もまた自然の摂理ではないかと思ってしまいますが、元も子もなくなってしまいますね。。
「死にたくない」「死なせたくない」「そのような死に方はありえない」
地球防衛は私にはまだリアリティーがなく、うわの空です。
「死後の世界」を考えた仏教は、兵器のない時にも同じ悩みを抱えていたのでしょうか。地球が丸いことも知らなかった時代は思いもよらないのでしょうか・・
ちなみに、私はまだサピエンス全史も読めていないのですが、研究者の好奇心には関心があります。
yamato様
コメントをありがとうございます。
兵器のない時代や地球が丸いと知らなかった時代にも、もちろん、悩みはあったと思います。
ただ、もっと命や日々の生活に密接した悩みだったのではないかと思います。
それが、ネットの時代になり情報化社会を迎え、精神面での悩みが多くなってきたのではないかと考えています。
これまらもコメント、応援をお願いいたします!
田淵俊彦 拝