【今日の新聞から】日本では進まぬグローバルスタンダードの「つながらない権利」を享受した海外ドキュメンタリー撮影の日々
「つながらない権利」というのがあるのを知った。携帯電話やパソコンの普及で、仕事とプライベートの境目が曖昧になってしまった現代社会。フランスでは、2017年に従業員50人以上の企業に「つながらない権利」の在り方を労使で協議することが義務付けられたという。イタリアでも同様に法制化されていて、今年になってアメリカのカリフォルニアでも議会に法案が提出された。
しかし、日本では厚労省が「十分に検討できていない」という理由で重い腰をあげず、なかなか法制化に至らない。
ほんとうに、いまは大変な時代だ。その人が休みかどうかはわからない。だから少なくとも平日はメールや携帯電話で追いかけてしまう。さすがに本学の場合でも、「平日の勤務時間以外に事務職の職員に連絡は控える」「休日は緊急の場合以外は連絡しない」などのガイドラインがあるが、教員同士だとそうもいっていられない。ましてや学生からの連絡は休日でも対応しなければならない。前職のテレビ局時代はもっと苛烈だった。休日だろうが撮影はある。昼間は現場に出ているスタッフやマネージャーからは意外と深夜にメール連絡が来たりする。したがって、休日でも深夜でもスマホやメールに気が行ってしまう。
この「つながらない権利」の話で昔の海外での撮影を思い出した。
長年、海外の秘境でドキュメンタリーの撮影をおこなってきた私だが、携帯電話が普及したのは1990年代の後半だ。2000年代に入ると、さすがに海外のロケに携帯電話やパソコンを持参するようになったが、それまではそういう文明の利器からはフリーな状態だった。また2000年代になっても秘境の場所によってはまったく携帯やインターネットがつながらなかったり、電気の供給がないところもまだまど多かった。
そしてそういう時代は「不便」ではあったが、ある種「自由」であった。一か月以上も海外に行っていても誰からも連絡がこないということもあった。贅沢な話だ。その間、存分にフィールドワークと撮影に没頭できるのだから、こんな幸せなことはない。
あるとき愕然としたことがあった。南米のペルーにあるマチュピチュ遺跡でのことだ。私は日本から携帯電話を持参はしていたがそれは緊急用ということで、まったくのノーマークだった。そのときは前日に念のために充電をして、電源を切り忘れていたのだろう。マチュピチュの撮影中に携帯電話に着信が入った。
そのときに驚いたのなんの。飛び上がらんばかりとはこのことだ。そして愕然とした。
秘境の世界遺産でも日本からの電話を受けられるとは……。考えてみれば当たり前なのかもしれないが、現実にわが身に起こるとびっくりすることもある。
その瞬間、私は自分が「つながらない権利」を失ったことを知ったのである。
「HIS」HPより