【おススメの書籍から】「死刑」について
平野啓一郎氏の『死刑について』(岩波書店刊)を読んだ。私の平野氏のイメージは正直「なんだか気障な人」という感じだったが、この本を読んで見直した。私もまったく同感だったからだ。
私が大学時代にゼミで「死刑存廃論」をやっていたエピソードは以前もこのHPで述べた。指導を仰ぐ師がかの高名な宮沢浩一氏であったので、学生だった私は当時、「死刑廃止論」に引っ張られていた。
そしていま、私は当時と同じく死刑廃止論を支持する。実は、一時期は「死刑存置論」に傾いていた。なぜかドラマを企画する際に社会的なテーマを選ぶことが多かった私は、弁護士や検事といういわゆる体制側の主張を「是」とする傾向にあった。つまり「勧善懲悪」であるとか「正義とは何か」といったことを重要と考えていたのである。
日本におけるテレビドラマは、「共感」が重視される。視聴者の共感を味方につけないと視聴率は望めない。したがって、どうしても「悪は懲らしめ」られ「ラストはハッピーエンド」にならざるを得ない。
そういったドラマを作るうちに、自然と「悪い者は罰を受けて当然だ」と思うようになったのだ。
もうひとつは、日テレの「NNNドキュメント」をやっていたことも大きい。「連合赤軍の元兵士」や「高齢犯罪者」「ストーカー加害者」「少年犯罪」などの加害者のことを分析はするが、その目的はあくまでも「被害者救済」という「被害者感情」を強く持っていた。自分の子どもが大きくなるにつれ、彼らが被害者になったときに「自分は加害者を許せるだろうか」と考えると、「NO」という答えしか思い当たらなかった。
もちろん、いまでももし自分の愛する人が被害にあったら、「加害者を許せるか?」と聞かれれば「NO」と答える。だが、「許せる⇔許せない」という話と「死刑存廃論」を切り離して考えられるようになったのだ。
平野氏は著書の中で、死刑は「国家による合法的な殺人」であると繰り返し述べている。暴力に暴力で応報するという考え方は間違っていると。私はこの意見に賛成だ。「合法的な殺人」という意味では「戦争」と同じだ。国と国が大義名分のもとに闘う戦争において人を殺めることはある種「合法的」であり、「正義」だ。「憎しみ」だけで人を罰するならそれは戦争と同じだ。もし私の愛する人が誰かに殺められたら、私はその人を一生許さないだろう。だが、死をもって罪を償ってほしいとは望まない。
「被害者感情」は被害者に対する「かわいそう」と言う気持ちから、加害者を「許せない」と思うことだ。そこには「共感」がある。この「共感」に偏重するのは危険だと最近は考えるようになった。なぜならば、共感できる人には同調するが、共感できない人は切り捨てていいし、共感できない人には何をしてもいいという論理が成立するからだ。
私がドラマのプロデューサーをやっているときに、俳優にオファーをすると「この役に共感できない」というお断りの言葉が返ってくることがあった。共感できる役は演じるが、共感できない役は演じないというのは、俳優としてはどんなものかと違和感を抱いていたが、そういった風潮が日本にはある気がしている。
平野氏は、日本人に「死刑存置論」者が多い理由として、以下の4つを挙げてる。
1.日本の「人権教育」の失敗
2.時代劇に代表される「勧善懲悪」の考え方
3.「死んでお詫びをする」という日本的な考え方
4.欧米のキリスト教などとの「宗教観」の違い
詳しく知りたい方は、本書をお読みいただきたいが、この指摘は鋭いと感じた。そのうえで、私が「死刑廃止論」を支持する理由を述べる。
1.暴力には暴力で応報するという考え方を根付かせてはいけない……これは、緩やかではあるが、「戦争」を寛容することにつながると考えるからだ。
2.死刑には「教育的効果」がない……「死刑が犯罪の抑止力になっている」は間違い。最近は「死刑になりたいから、罪を犯した」という事件も散見される。
3.「更生」の機会をはく奪する……「死刑判決」を受けたときから、受刑者はそのことしか頭にはなくなる。自分がしてしまったことと向き合う時間を作るべきだ。
とてもいろいろなことを考えさせられる良書だった。
「死刑について」平野啓一郎著