【活動報告】「市民大学2025」~桜美林大学コース:混沌時代の新・テレビ論ー37年間テレビ局で番組を作り続けた講師が伝える「テレビの真実」&日本映像学会「映像人類学研究会」第10回研究会(ゲストスピーカー:大島新氏)

今日は、いま私がおこなっている「社会活動」を紹介したい。
一つ目は、「市民大学」だ。こちらは、2023年に本学・桜美林大学に入職して毎年「桜美林大学コース」としておこなっている。主催は相模原市教育委員会・座間市教育委員会で、運営は公益社団法人相模原・町田大学地域コンソーシアム(さがまちコンソーシアム)である。
そして今年度は、「混沌時代の新・テレビ論-37年間テレビ局で番組を作り続けた講師が伝える『テレビの真実』(前編)」と題して、昨日7月5日㈯から3週にわたってお送りしている。概要としては以下のような内容だ。
【概要】かつて「メディアの雄」と言われたテレビメディア。しかし、地上波の視聴率は下がり続け、配信に広告費も奪われ、いまや「風前の灯」となっている。また、昨今では「ジャニーズ性加害問題」やドラマ「セクシー田中さん」問題、フジテレビ問題などのコンプライアンスやハラスメント、企業ガバナンスに関する諸問題も山積みである。これらの原因はいったいどこにあるのだろうか。1953年に放送が始まって70年が過ぎた。その半分以上の37年間をテレビの制作現場でつぶさにその姿を見てきた講師が、テレビの欠陥的な構造を明らかにする。
そしてラインナップは、#1:テレビと配信~テレビから流出する映像ビジネスの人材、#2:テレビと配信~「花形メディア」の座を配信に受け渡したテレビ、#3:テレビを通して映像メディアを見る~メディア・コントロール、となっている。いわゆる私が本学・桜美林大学でおこなっている授業の一部を、市民の方々にも伝えるという内容だ。「へー、そんなことを大学で教えているんだ!」と感嘆の声をよくいただく。いまは生涯学修の時代だ。また、私がいつも述べているように、時代のキーワードは「共有」である。教育による「知識の共有」は大切だ。
32名もの方にお申し込みいただき、昨日の#1を終えたが、活発な質疑応答が繰り広げられ関心の高さを実感するとともに、さすが70代や上は80代の人生の先輩方の質問は鋭いと確信した。なかには、この講座を知って駆けつけてくれた業界の方もいたり、「ずっと前から田淵さんのファンなんです。いつも注目しています!」という80代の男性がいたりと、ありがたく感じるとともに身が引き締まる思いだった。
そして二つ目は、「研究会」である。私が所属している学会・日本映像学会の分科会である「映像人類学研究会」の代表を私は務めていることは、以前にこのブログでも記したが、この第10回研究会が8月9日㈯に本学・桜美林大学での対面とオンラインのハイブリッドで開催される。先日、立教大学のシンポジウムでドキュメンタリー映画監督の大島新氏とご一緒した際にお願いをしてみたところ、快くゲストスピーカーを引き受けてくれることになった。「私で良ければ」と即断だった。さすがである。概要としては、以下のようだ。https://jasias.jp/archives/32539
【概要】映像は、社会を映す鏡であり、そこに生きる人々の記録でもある。とりわけ今、政治への関心の希薄化や公共空間の分断が進む中で、「誰が何を伝えるのか」「それを誰がどう受け取るのか」といった問いが、これまで以上に重みを増している。今回の研究会では、政治と個人、市民と国家、記録と表現のあいだを繊細に描いてきたドキュメンタリー作品を手がかりに、「記録する」という行為の倫理性と創造性をあらためて問い直す。社会を可視化し、沈黙の声に輪郭を与えるドキュメンタリーは、単なる映像ではなく、思考の起点となり得る。制作者の語りを通して、現場での葛藤、表現の選択、そしてメディアにおける「編集」という行為の意味を考察するとともに、今なぜこのような映像が必要なのか、その時代的な必然を参加者とともに共有する。作品を観ることは社会と向き合うことであり、その視線の深さが私たちの思考と行動を揺さぶる。
当日は、私と大島氏とでパネルディスカッションを繰り広げる予定だが、同じ「ドキュメンタリー領域」ということで、かなり盛り上がりそうでいまから楽しみにしている。
市民大学はすでに締め切ってしまったが、秋にも開催される。映像人類学研究会の方は、昨日受付を開始したばかりなので、興味がある方は参加してみてはどうだろうか。きっと週末の刺激的な時間を過ごすことができるだろう。

研究会のゲストスピーカー・大島新氏
株式会社クリーク・アンド・リバー社HP「CREATIVE VILLAGE」より



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