【活動報告】市民大学講座・桜美林大学コース「テレビの真実」完結――受講生の《熱意》と《関心》に感服し、“学び”の意味を問い直す

このブログでも何度かお知らせしてきたが、本日、3回シリーズで開催した市民講座・桜美林大学コース「混沌時代の新・テレビ論-37年間テレビ局で番組を作り続けた講師が伝える『テレビの真実』」(後編)が無事終了した。

「後編」では、「前編」で提示した問題意識をさらに深掘りし、現在のテレビメディアが直面している課題を浮き彫りにした。テーマは「テレビの悪癖」。具体的には「忖度」「不遜と横暴」「マネタイズ」という3つの視点から、テレビの構造的な問題を検証した。

しかし、今日お伝えしたいのは、講座の内容そのものよりも、そこに集った受講者の方々についてである。
参加者は約30名。人生経験豊かな方々が多く、なかには、90歳を超えた方も参加してくださった。皆さんが「知りたい」「学びたい」という純粋な動機で集まっていることもあり、その熱意には毎回、頭が下がる思いだった。講座終了後の「カフェ方式」の希望者による座談会にも、多くの方が参加され、旺盛な向学心には見習うべきものがある。
定年まで勤め上げた方、子育てを終えた主婦の方など、人生のさまざまなステージを経てなお、知的好奇心を持ち続けている姿に、深い感銘を受けた。そのまなざしは真剣そのもの。メディアやテレビ局に関する質問も積極的に飛び交い、その内容は「人生の熟練者」ならではの鋭さと洞察に満ちている。単なる知識の吸収ではなく、自らの経験と照らし合わせながら、メディアの本質に迫ろうとする姿勢が感じられる。
私は講座の冒頭でいつもこう述べている。「電波は国民の公共財。一人ひとりの大切な財産である。だからこそ、その財産が適切に使われているか、私たち自身が目を光らせる必要がある」と。そうした意識を持つ方々が集まっているからこそ、テレビやメディアに対する批判や疑問の声も真摯で、鋭い。

この市民講座は、私にとっても学びの場であり、刺激の場である。受講者の皆さんとの対話を通じて、私自身が考えを深め、視野を広げることができている。
そして改めて思うのは、「学びに年齢は関係ない」ということだ。人生100年時代と言われる今、「アンラーン(学び直し)」「リカレント教育」は働き盛りの世代や定年後の人々にとっても重要な学びの機会であり、決して特定の年齢層に限られたものではない。むしろ、豊かな経験を持つ人々こそが、社会の課題を深く理解し、未来に向けた知恵を育む存在なのではないか。
また、こうした場での学びは、単なる知識の獲得にとどまらない。メディアリテラシーを高めることは、情報が氾濫する現代において、極めて重要な市民教育でもある。テレビやネットの情報を鵜呑みにせず、自らの視点で問い直す力。それは、世代を問わず、私たち一人ひとりが持つべき力だ。とりわけ、長年の経験をもとにメディアを批判的に読み解く力を持っている方々の存在は、社会にとって貴重な財産である。
さらに言えば、こうした講座は「教える側」と「学ぶ側」の境界を越えた、双方向の学びの場でもある。受講者の鋭い質問や意見は、私自身にとっても新たな視点をもたらしてくれる。講師である私が、受講者から学ぶことも少なくない。まさに「共に学ぶ場」なのだ。講座は、受講者の関心や問題意識によって進化していく。これは、大学の教室でもなかなか得がたい、貴重な体験である。
そして最後に、「テレビの真実」を語ることは、単にメディア批評にとどまらない。テレビというメディアを通して見えてくるのは、現代社会の構造そのものである。情報の偏り、資本主義の論理、視聴率至上主義、そして異論や批判が出にくい雰囲気を作り出すという「空気」による支配。受講者の視点から見えるテレビは、まさに「社会の鏡」なのだ。だからこそ、テレビを語ることは、社会を語ることでもある

私も、70になっても、80を過ぎても、こうした「物事への関心」「向学心」を持ち続けていたい。知ること、考えることをやめない人生こそ、豊かであると改めて感じている。

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