【今日の新聞から】特定少年が「初めて死刑判決を受けた」ことに抱く危惧

2021年に甲府市で、同じ高校の同級生の両親を殺害して住宅に放火したとして、殺人などの罪に問われた当時19歳の少年に、死刑判決が言い渡された。2022年4月に施行された改正少年法の「特定少年」に当てはまるとされ、大人と同じ扱いの厳罰化が下されたかたちとなった。
これは、日本の法制史において歴史的な出来事だといえる。
まずこの記事を読んで、「ずいぶん判決が早く出されたな」という印象だった。そんなことはないと思うが、なんだか世論の熟成を避けるように「急いだ」ような気がしたからだ。
「判決要旨」理由を読んだが、おおまかなところでは、残された同級生の女性とその妹の精神的ダメージを考慮した点、投げやりにも見える態度などから謝罪や反省の気持ちがないと判断され、「矯正や更生の可能性は低い」と結論づけられたようだ。
「死刑存廃論」に関しては、このHPに前述したように、大学時代のゼミでずいぶん研究や検証をした。しかし、その40年近く前から議論はあまり進んでいるとは思えない。その理由は、必ずこの議論には「感情論」が絡んでくるからだ。感情が絡むと話は堂々巡りになりやすい。
もちろん、「当事者感情」としては「許せない」という気持ちが先に立つ。もし私の家族に同じようなことが起こったら、その加害者を死刑にしてほしいと思うかもしれない。残された被害者が、加害者が刑務所から出所してくる日のことを考えると夜も眠れないという話も私のドキュメンタリーのインタビューでよく聞いたし、理解もできる。
また、犯罪論においては「三方よし」やいろいろな立場から公平に考えるという理屈は通用しない。加害者、被害者、世間(社会)のうちで、悪いのは加害者であることは歴然としているからである。そのうえで、私の意見を述べる。

私は、今回の判決は「少年法」というものの本質や本来の存在意義を損なうものであると分析する。少年法は、まだ社会にも出ていない、社会の荒波も受けていないいわゆる〝まだ甘い〟〝未熟な〟人間を対象にしている。社会のルールやマナー、仕組みなどもわかっていない可能性もあるだろう。皆さんもご自身が10代のころを思い起こしてほしい。「すべてが気に入らない」「何をやってもうまくいかない」と自暴自棄になったりすることはなかっただろうか。一時的や突発的であったとしても、社会や大人に向けて反抗的な態度を取ったり、ときには暴力的とも思える発言や行動をしてしまったりしたことはなかっただろうか。
「特定少年」とは、こういった特性の18歳や19歳といった大人への「過渡期」にある〝未成熟な〟人間を対象にしている。当たり前のことだが、だからといって未成年の犯罪を擁護しているわけではない。しかし、死刑ということで結論づけてしまうことは、〝一時的〟や〝突発的〟ないわば〝未熟な〟人間にありがちな行動を考慮せずに、単に「断罪」してしまうことになるのではないかと危惧している。
判決のスピード化についても違和感を述べたように、こういった被告人が反省を示していない(本当に反省していないのかどうかはわからない)場合には、もっと時間をかけて贖罪の気持ちを促してゆくことが必要なのではないだろうか。
「特定少年が初めて死刑判決を受けた」という事実は、歴史に刻まれた。今回の判決によって、少年法の存在意義や理念はなおざりにされ、特定少年への厳罰化が加速することは間違いない。私たちは、世界でもまれな「死刑制度」を取り入れている国の民として、今回のような裁判の動きを見守ってゆく義務と責任がある。

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