【活動報告】熊本・天草地区~長崎・外海地区にフィールドワーク研究に行ってきました!ー「かくれキリシタン」のドキュメンタリー撮影

すっかり近年の私のライフワークとなった「かくれキリシタン」のドキュメンタリー撮影に行ってきた。10月12日㈯から昨日の15日㈫まで、授業と授業の合間を縫って、今回は熊本・天草地区~長崎・外海地区でのフィールドワーク研究である。
10月~12月は大学の学務が土日にも結構入っているので、3泊4日が取れるのは年内ではここだけだった。ピンポイントだが、「えいやっ!」と強行スケジュール覚悟で出かけてきた。
いつもながら一人ぼっちで、カメラや三脚などの機材を抱えての撮影だ。12日㈯の朝の便で長崎空港に入り、奈留島から別の便で来ていただいた柿森和年氏をピックアップ。レンタカーで天草に向かい、12日、13日は取材をおこなって、14日の早朝5時起き、5時半出発で再び長崎に車で戻り、柿森氏を長崎空港で降ろして、外海に向かうというスケジュールだった。
撮影のとき以外はずっと運転していたイメージなので、ずいぶん移動したのではないかと思う。

今回の大きな目的は、3つ。
1.世界で奈留島だけに残っている絹に書かれたオラショ「今日の御志き(おんじき)」に出てくる場所の映像として押さえること
2.いまも25世帯が残る外海の黒崎集落のかくれキリシタンの方にインタビューすること
3.黒崎集落に残る、鳥居のない「枯松神社」を撮影すること

このブログでも何度も取り上げているので、皆さんはすでにお分かりのように「オラショ」とは、かくれキリシタンの祈りの言葉だ。これは本来、口承、いわゆる口伝えでなければならない。文字化すると暴露するからだ。だが、この現存する通称「絹のオラショ」は、当時貴重だった絹に丁寧に文字で書かれている。なぜ、そしていったい誰がこのオラショを残したのか
その内容を解明してゆくと、当時は私たちが想像するよりも強大なかくれキリシタンのネットワーク網があったことがわかってきた。
奈留島からわざわざ柿森氏に出向いてもらったのは、「今日の御志き」のなかの場所を特定するためだ。私ひとりで探していると時間がかかる。柿森氏は場所を把握しているので助かる。
そして2.のインタビューは外海地区の村上茂則氏の協力で実現した。3.の枯松神社や「今日の御志き」に出てくる場所の特定も、村上氏が撮影に帯同してくれたことでスムースに進んだ。村上氏はおそらく日本で唯一のかくれキリシタンの指導者「三役」のうちの「帳方」だ。
前回の8月末の奈留島取材は台風10号、前々回の6月末の外海取材は長崎空港の強風に悩まされた。天候の不順は撮影には天敵だ。今回も予報に反して15日は雨とのことで、15日に予定していた撮影を14日中にやり切らなければならなかった。これも、村上氏が撮影スポットを知り尽くしていて的確に指示してくれたため、撮り切ることができた。
今回も、地元の方々の温かい支援によって無事に撮影を終了したことを報告すると同時に、この場を借りて感謝を申し上げたい。

そして、「かくれキリシタン」の研究の成果に関しては、また追ってこのブログでお伝えしたい。特に、2.の実際にいまもかくれキリシタンを貫いている市井の人々の言葉は重く響くものがあった。

絹のオラショ「今日の御志き」の説明をする柿森和年氏
「産経新聞デジタル」より

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です