【おススメ書籍】ノーベル文学賞作家ハン・ガン氏の『菜食主義者』は自らのアイデンティティと向き合った意欲作~ちばてつや氏の文化功労章受章から思う

まずは今日のトピックから。ちばてつや氏が文化功労章を受章した。素晴らしい「快挙」だ。それは、漫画家では初めてのことだからだ。まず、その事実に驚いた。どれだけ「漫画」が軽んじてこられたかがよくわかるエピソードだろう。
いまや「Manga」は世界語となり、世界中の人々が年齢を問わず当たり前のように読んでいる漫画だが、私が幼いころには「漫画を読むとバカになる」というひどいことまで言われ、漫画を読んでいると封建的な祖母からすごく怒られたものだ。そういうこともあって、漫画は「隠れて読むもの」「恥ずかしいもの」という意識が長い間、私自身のなかにもあった。大学で東京に出てきて電車のなかで堂々と漫画を読んでいる大人を見て、ショックを受けたり、(いま思えば差別的な愚かなことだが)こころのなかで少し下に見たりしていた。
だが、ちば氏をはじめ多くの漫画家が歴史に残る作品を世に発信してくれて、漫画は「文化」とまで認識されるようになった。いや、もともと漫画は日本の文化だったのだ。だが、それを否定していたに過ぎない。
『あしたのジョー』をリアルタイムでマガジンで読んでいた当時の私たちは、ラストのジョーの姿に「死んだか、死んでないか」と真剣に議論を闘わせていた。これを「文化」と呼ばすに何を文化と呼ぶのか
このように、先入観などのバイアスが私たちに与えられた「素晴らしい贈りもの」を認識する眼を曇らせることがある。だが、今回のノーベル文学賞受賞のハン・ガン氏ももしかしたらそういった先入観のなかにいた作家だったのかもしれないと『菜食主義者』を読んで思った。

この作品は、ある日突然、野菜や果物しか食べなくなった女性を取り巻く人々の物語だ。人々と言っても、連作になっているその主要登場人物は、姉とその夫だ。
正直言って、読み始めたときには「え、オカルト?」、次に「エロ小説?(失礼!)」「大丈夫か?」と感じた。だが、これは私の読解力が乏しかったのだ。読み進めるうちに、この物語は登場人物たちそれぞれがアイデンティティを取り戻す話だと気がついた。そしてさらに読み進めると、人間というのは〝もともと〟アイデンティティなど持っていないのだということに理解が進んだ。
「わたしはこう」「こうあらねばばらない」「こうあるべきだ」と考えることで、本当の自分を見失っていないか、いや「本当の自分なんてもともとないんだよ」とこの小説は問いかける。
そしてなぜハン氏がこの小説を書いたのだろうかと考えた。ハン氏の父も兄も作家だ。特に父は韓国の国民的作家だ。彼女も23歳という若さでデビューし、早くから受賞をするなどで脚光を浴びている。周りからは期待され、「〇〇の娘」と言われてきた。そんな彼女にプレッシャーはなかったのか。
また、私が読んだ『菜食主義者』は「新しい韓国の文学」というシリーズの1作品目として出版されている。私がハン氏であれば、ありがたいと思うと同時に「〝新しい〟ってなに?」と思うかもしれない。
「文学に新しい、古いがあるのか」と。
ハン氏はそんな固定観念や偏見を壊したかったのではないか。
徐々に静化してゆく主人公ヨンヘの描写からそんな「破壊的な怒り」を感じたのは、私だけだっただろうか。

「ハンギョレ新聞」HPより

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