【今日のタブチ】「香害」という見えない暴力ー教育現場に忍び寄る脅威とどう闘い、子どもたちを守るのか

最近まで耳にしたことのなかった言葉が、新聞や教育現場の声を通じて急速に存在感を増している。
「香害」——香りによって引き起こされる健康被害を指す言葉だ。柔軟剤や洗濯用洗剤などに含まれる人工香料が、子どもたちの心身に影響を及ぼしているという。
8月20日に公表された初の全国調査によれば、小中学生の約1割が香害による体調不良を経験している。未就学児も含めると、体調不良を訴えた子どもの4人に1人が登園・登校を嫌がる傾向を示した。
原因とされるのは、衣料用洗剤や柔軟剤に含まれる香料だ。人工的な化学物質が、教室という閉鎖空間で揮発し、子どもたちの呼吸器や神経系に影響を与えている可能性がある。明治大学の寺田良一名誉教授(環境社会学)は「香害で学習環境が損なわれている」と指摘する。
とりわけ目立つのは、「給食着を何とかしてほしい」という声だ。児童生徒が共有する給食着は、家庭での香料対策が難しく、無防備なまま教室に持ち込まれる。兵庫県宝塚市では、自前のエプロン持参を認める対応が始まっている。小さな自治体の試みが、制度の隙間を埋めようとしている。
なぜ、こんなことが起こるのか。
背景には、香り文化の変遷がある。かつて「無臭=清潔」だった価値観は、いつしか「香り=清潔」へとすり替わった。SNSや広告が「香りのある暮らし」を理想化し、香料の強さが快適さの指標になっていった。香りは個性であり、癒しであり、自己表現の手段にもなった。だがその香りが、誰かの呼吸を奪っているとしたら——
その背後には、メーカーによるマネタイズ至上主義がある。香りの強さは商品の差別化に直結し、売上を左右する。香料の持続性を競い合うように技術が投入され、消費者の嗜好を煽る広告が繰り返される。だが、企業は本当に「誰の快適さ」を考えているのか。香りを選ぶ自由の陰で、香りに晒される側の不自由が置き去りにされていないか。
「快適さ」を商品化しようとする企業の思惑の背後には、技術革新がある。「マイクロカプセル」の存在だ。香りを長時間持続させるために、微細なカプセルに香料を閉じ込め、衣類に残留させる仕組みだが、洗濯後も揮発し続けるこれらの化学物質が、教室という密閉空間で子どもたちの体調に影響を与えている。
さらに、香害は一時的な不快感にとどまらず、「将来的な健康リスク」をも孕んでいる。化学物質過敏症との関連も指摘されており、香料に繰り返し曝露されることで、過剰反応を起こしやすくするケースもある。これは単なる「匂いの好き嫌い」ではなく、身体が拒絶反応を起こす深刻な問題だ。
海外ではすでに「無香料ゾーン」や「香料制限」のガイドラインが教育現場に導入されている国もある。対して日本では、香料に対する制度的な規制はほとんど存在せず、教育現場も「香りの自由」と「香りの暴力」の境界を見極める術を持たないまま、子どもたちの健康を危険に晒している。
なぜ、日本では制度化が進まないのか。
消費者の「いい香り」への依存。企業のマーケティング戦略とロビー活動。行政における優先順位の低さ。それらが複雑に絡み合い、制度化の遅れを生んでいる。
香りは記憶を呼び起こす。
けれど、香害は学びを遠ざける。

この問題は、香料という目に見えない存在が、教育という公共空間にどのように入り込み、子どもたちの身体と心に何をもたらしているのかを問い直す契機となる。香りの快適さを追求するあまり、誰かの呼吸を犠牲にしていないか。その問いは、私たちの生活感覚と制度の遅れを照らし出す鏡でもある。

「宣伝会議」HPより

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