【今日のタブチ】テレビ局の「免許」に口を出す“国王まがいの”横暴――《やんちゃ坊主》のトランプ劇場、幕はいつ降りるのか
《怒り》の記事を見つけた。トランプ劇場がまたやってくれた。メディアに関わってきた者として、これは看過できない愚行だ。
米国大統領ドナルド・トランプ氏が、敵対的と見なしたテレビ局に対し、連邦通信委員会(FCC)が放送免許を剥奪する可能性に言及したという。発端はABCテレビの深夜番組『ジミー・キンメル・ライブ!』での風刺発言。司会者ジミー・キンメル氏がトランプ氏の言動を痛烈に批判したことに対し、トランプ氏は「民主党寄りの偏向報道だ」と激怒。報復として放送免許の剥奪をちらつかせた。
この発言は、米国の制度と理念を根底から揺るがす危険な兆候だ。米国では放送免許を管轄するFCCは、議会から独立した第三者機関であり、政権の意向で放送局の生殺与奪を左右することはできない。これは言論の自由を守るための制度設計であり、民主主義の根幹を支える仕組みだ。
一方、日本では総務省が放送免許を与える。つまり、行政権力が直接メディアの生殺与奪を握っている構造だ。アジア諸国の中でも、日本はこの点で遅れている。米国のFCCは、制度的独立性と透明性の高さから、アジア諸国でも放送行政のモデルとして参照されてきた。たとえば韓国では、FCCを参考にして設立されたKCC(韓国放送通信委員会)が、政治的中立性を保ちながら放送免許を管理している。台湾でも同様に、独立機関による放送行政が整備されつつある。にもかかわらず、日本はその流れに乗り遅れ、いまだに行政が直接放送免許を握る構造を温存している。
なぜ第三者機関ではないのか。なぜ制度改革が進まないのか。理由は明白だ。権力がメディアを「飼い慣らす」ために、あえてそのままにしているからだ。
この構造がもたらした弊害は、枚挙にいとまがない。長らく「メディア王」と揶揄された菅義偉氏は、総務相から首相に至るまで、放送行政を掌握し続けた。その間、日本のテレビ局は「骨抜き」にされ、政権批判を避けるようになった。報道は「忖度」と「沈黙」に覆われ、視聴者は真実に触れる機会を奪われた。
だからこそ、トランプ氏の発言は他人事ではない。米国の制度が揺らげば、日本のメディア環境にも影響を及ぼす。民主主義は、制度と文化の両輪で成り立つ。制度があっても文化が腐れば機能しない。文化があっても制度がなければ守れない。
そんなことを考えながら、昨日新聞で見たある写真を思い出した。トランプ氏とチャールズ国王の2ショット。国賓として英国を訪れたトランプ氏を国王が迎える場面だ。
チャールズ国王は晩餐会のスピーチで、「世界で最も手に負えない紛争の解決に取り組んでいる」とトランプ氏を持ち上げた。私には、国王の「ウィット」か「皮肉」に思えた。ウクライナやガザなど、国際的な火種に向き合う姿勢を評価するかのような言葉だが、その実、そうではない含みが感じられたからだ。だがその一方で、トランプ氏は「地下資源を掘りまくれ」と公言し、環境保護より経済優先の姿勢を隠そうともしない。それに対しても、チャールズ国王は「私たちは自然を守り、美しさを元に戻す貴重な機会がある」と語った。環境破壊に強い懸念を示し、持続可能性への責任を訴える姿勢は、まるでトランプ氏をたしなめるようだった。
どう見ても「格」が違う。人間としての器の差が歴然だった。2ショットの写真は、駄々をこねるやんちゃ坊主をたしなめる大人の構図に見えた。トランプ氏の表情はどこか不満げで、国王の穏やかな眼差しがそれを包み込む。写真一枚が語るものは、言葉以上に雄弁だった。
〝好き放題をする〟やんちゃ坊主のトランプ劇場、いったい幕はいつ降りるのやら――。
「静岡新聞DIGITAL」より