【今日のタブチ】「GDP比2%」報道の裏に隠されたものは何か──軍事費《国家予算比》という視点の欠落
昨日、防衛産業の国有化についてブログを書いた。書き終えた後も、どうにも気になって仕方がないことがある。防衛費の話だ。
ニュースでは「防衛費をGDP比2%に引き上げる」という政府方針が、繰り返し報じられている。これは、2022年に閣議決定された国家安全保障戦略に基づくもので、NATO加盟国の基準に準じた水準とされている。報道ではこの数字が、あたかも国際的な“目安”であるかのように紹介され、一定の正当性を持つものとして扱われている。
だが、ふと疑問が湧いた。
国家予算に占める防衛費の割合はどうなのか?
GDP比という言葉の陰に、もっと生々しい現実が隠れているのではないか。社会保障、教育、医療、災害対策──それらと並んで、国の財布の中で防衛費はどれほどの位置を占めているのか。気になって調べ始めたら、止まらなくなった。
日本の2025年度防衛費は約8.7兆円。国家予算(一般会計112兆円)に対する割合は約7.8%に達する。これは決して小さな数字ではない。にもかかわらず、報道ではほとんど「GDP比」しか語られない。
なぜか。
理由はいくつかある。国際比較の標準がGDP比であること。国家予算の構造が国によって異なるため、単純比較が難しいこと。防衛費の定義が曖昧になりやすいこと。だが、何より大きいのは──政治的配慮だ。
国家予算比で語れば、社会保障や教育、医療との「予算の奪い合い」が可視化される。防衛費の増加が国民生活にどう影響するかが、より生々しく浮かび上がる。だからこそ、政府も報道も「GDP比」という無難な数字に逃げるのだ。
では、世界で日本より国家予算比で防衛費が多い国はどれほどあるのか。調査の結果、以下のような国々しか確認できなかった。いずれも特殊な安全保障環境や戦時体制にある国々であり、例外的な存在と言っていい。
ウクライナ:国家予算の56.6%が防衛費。戦時国家の極限構造。
イスラエル:20〜25%。徴兵制と戦時下の財政硬直の状態。
アメリカ:12〜15%。巨大軍需産業と政治的影響力の象徴。
そして、これらの国々では、すでに様々な弊害が顕在化している。
ウクライナでは、社会保障や教育予算が極端に削られ、財政赤字と債務が危険水準に達している。イスラエルでは、軍事費増加が国内の格差と分断を加速させ、言論空間にも影響を及ぼしている。アメリカでは、軍需ロビーの影響力が強まり、教育や福祉が相対的に後退している。
これらの事例は、単なる数字の比較ではない。国家の選択と社会の構造そのものが問われているのだ。
日本が今後、防衛費を増やす道を進むならば、「GDP比2%」という数字だけで安心してはいけない。国家予算比という視点を欠いたまま進めば、知らず知らずのうちに、これら諸国と同じような途をたどることになる可能性がある。それでも良いのか、私たち国民一人一人が考えなければならない。
そしてもうひとつ、見落としてはならないのが、こうした数字をどう伝えるかという「メディアの責任」だ。報道は、政府の方針を伝えるだけでなく、その数字が社会に何をもたらすのかを問い直す責任があるはずだ。GDP比という“国際基準”を繰り返すだけでは、国家予算の中で何が削られ、何が優先されているのかという本質的な問いを覆い隠してしまう。
メディアが語らない数字の裏にこそ、社会の選択と分岐点がある。
防衛費の増加が、教育や福祉、医療、災害対策とどう競合するのか。その構造を見せることこそが、報道の役割ではないか。数字を伝えるだけでは足りない。その数字が何を意味し、何を犠牲にするのかを伝えることが、報道の責任である。
「ダイヤモンドオンライン」より