【今日のタブチ】“沈みかけた”ニッポンが《異端》外国人を排除する理由――世界の「嫌われ者」になる前に
ますます、“嫌な”国になってきた。今朝の新聞を読んでそう思った。
自民党総裁選の各候補が、外国人政策の規制強化を訴えているという。
高市早苗氏は「奈良のシカが外国人観光客によって傷つけられている。文化財や自然環境を守るためにも、観光マナーの徹底と規制強化が必要」と語り、外国人観光客への規制を文化保護の観点から主張した。小林鷹之氏は「外国人投資家によるマンション買い占めが価格高騰を招いている。生活者の住環境を守るため、取得規制を検討すべき」と述べ、都市部の不動産取得に対する規制強化を提案。茂木敏充氏は「在留カードと運転免許証の情報を紐づけることで、滞在管理の透明性を高める。制度の悪用を防ぐための仕組みが必要」と発言し、「違法外国人ゼロ」を公約に掲げた。小泉進次郎氏は、外国人による犯罪や不正行為への対応を検討する政府の司令塔の機能強化を唱えた。林芳正氏は、「なだらかに必要なだけ、日本に入ってもらうことが大事」とし、外国人の受け入れ人数を調整する必要性に言及した。
なぜ彼らはここまで外国人を排除しようとするのか。
理由は2つあるだろう。一つ目は、彼ら外国人が有権者ではないということ。選挙に直接影響しない存在だからこそ、排除しても政治的リスクが少ない。二つ目は、参政党などが保守層の支持を得て台頭してきた影響だ。排外的な言説が票になるという空気が、政界全体に広がり、便乗しようとしている。
地方自治体でも同様の空気が漂っている。
例えば、今年の6月、福岡市議会にて日本保守党の有本香氏がテレビ番組「あさ8」で、「外国人で日本が好きという人がいるが、本質的には日本人を非常に見下している。大体そんなもんだと思っておけば間違いない」と発言した。この発言は、外国人住民の善意や地域貢献を一括して否定するものであり、実質的に「彼らは有権者ではないから、声を聞く必要はない」という姿勢を示したものと受け取られている。
川口市では、クルド人住民に対する規制強化を求める陳情が議会で採択され、事実上の排除政策が進められている。
これらの事例は、地方政治の場においても「外国人は有権者ではないから、排除しても構わない」という空気が醸成されつつあることを示している。
この国はどうなってしまったのか。国を率いるトップや地方を支える組織自らが、「日本人ファースト」を声高に主張し始めているこの現実を、私は憂いている。このままでは、この国は世界の「嫌われ者」となってしまう。その前例は、ある大国を観れば一目瞭然だ。
我が国は「外国人なしでは成り立たない」という現実にもっと目を向けるべきだ。日銀が発表した企業短期経済観測調査によれば、企業は深刻な人材不足に陥っており、その傾向は中小企業で特に顕著だ。厚労省の統計によると、2024年時点で外国人労働者は約204万人。製造業では全労働者の約10%が外国人であり、介護や建設業ではさらに高い比率を占めている。
企業経営者の声も明確だ。「外国人の人材は必要不可欠だ。彼らがいなければ現場は回らない」と語るのは、ある地方の食品加工会社の社長。技能実習生や特定技能制度によって支えられている現場は、全国に無数にある。
経済面だけではない。伝統文化の継承というステージにおいても、外国人の力が求められている。京都の染物工房では、ベトナム出身の職人が技術を学び、後継者として期待されている。和菓子職人や陶芸の世界でも、外国人研修生が技術を受け継ぎ、文化の担い手となっている。
そんな“貴重な”人材を排除してしまったら、日本の経済や文化はどうなるのか。
死んでゆく老体はいいだろうが、未来の若者たちのことを考えると、声をあげずにはいられない。
最後に、昔、小学校のとき、私のクラスにもいた。転校してきた子どもを「異端」として排除しようとする愚かな生徒がいた。人間は「自分と違うものを排除しようとする」防衛本能があるという。そういって外敵や攻撃から身を守ってきたことも確かだろう。だが、いまはそんなときではない。いろいろな意味で“沈みかけた”この国に必要なものは、いったい何なのか。よく考えるときが来ている。
「東京新聞デジタル」より