【今日のタブチ】町田刺殺事件が及ぼす「一人暮らし学生」への影響――“恐怖”を植えつける、それは《テロ》と何ら変わりがない
町田市のマンションで高齢女性が刺されて死亡した事件。報道によれば、加害者は「誰でもよかった」と供述しているという。衝動的な犯行か、あるいは何らかの精神的背景があるのか。いずれにせよ、その言葉の無責任さと、現実に起きた死の重さとの落差に、言葉を失う。
この事件の現場は、本学・桜美林大学の学生が住むエリアのすぐ近くだった。ある学生は地方から上京し、一人暮らしをしている。事件後、毎日恐怖に怯えながら生活しているという。「家に帰るのが怖い」と漏らし、親御さんも「そっちに行こうか」と心配しているそうだ。学生にとって学びの場であるはずの東京が、突然、命の危険を感じる空間に変わってしまったことに、怒りを覚える。
それは、加害者の無責任な暴力に対してだけではない。都市の構造が、若者の孤独や不安を見過ごし、事件が起きた後も「自己責任」といった空気の中で、今回の犯人と同じような人間を放置していることへの怒りでもある。彼らは夢を抱いてこの街に来た。その夢が、恐怖によって揺らぐことの理不尽さを、私たちはもっと深く受け止めなければならない。
こうした事件が、周囲の人々にどれほどの影響を与えるのか。PTSDのような心的外傷はもちろん、日常の安心感が失われることによる生活の質の低下、学業への支障、親子間の不安の連鎖など、波紋は広がっていく。加害者は、刃を振るったその瞬間に、誰かの夜道を奪い、誰かの親を不安にさせ、誰かの人生に影を落とすことまで想像していただろうか。
日本では、地方から東京の大学に進学する学生は非常に多い。文部科学省の統計によれば、東京圏の大学に進学する地方出身者は年間数万人規模にのぼり、特に首都圏集中の傾向は近年も続いている。進学とともに一人暮らしを始める学生も多く、彼らは都市の利便性と同時に、孤独や不安とも向き合っている。
今回の事件は、学生が直接巻き込まれたわけではない。しかし、こうした無差別的な暴力が、若者の生活にどれほどの影を落とすかを考えると、私たちは「巻き込まれていないから関係ない」とは言えない。実際、都市部での無差別事件は過去にも繰り返されており、若者が被害者となるケースも少なくない。事件の件数や割合が増加しているかどうかは、統計的な検証が必要だが、少なくとも人々の「不安に対する敏感さ」は高まっているように思える。以前なら気に留めなかったような出来事にも、強い恐怖や警戒心を抱くようになっている――そんな傾向が、確かにあるように感じる。
事件の重みは、刺された一人の命だけでなく、見えない恐怖に怯える無数の心にまで及ぶ。そのことを、私たちは忘れてはならない。
一人の衝動が、都市の安心を揺るがし、若者の未来に影を落とす。それは、無差別に恐怖をばらまくという点で、テロと何ら変わらない。加害者がその重みを想像していなかったとしても、私たちは見過ごしてはならない。
加害者の想像力の欠如を、社会の想像力で補うこと。それが、私たちにできる最低限の責任ではないだろうか。
「時事ドットコムニュース」より