【今日のタブチ】言語の“尊厳”を照らし出す東京デフリンピック――《尖った手段》とされた「手話」が祝福される
2025年11月、東京でデフリンピックが開催される。聴覚障害のあるアスリートたちが世界中から集い、手話という「見える言語」で競技と交流を繰り広げるこの大会は、パラリンピックとは異なる理念を持っている。
国際ろう者スポーツ委員会(ICSD)のアダム・コーサ会長は、開幕に向けた記者会見でこう語った。
「私たちには、手話という独自の言語がある。それは誇りであり、文化だ。デフリンピックはその“デフ・プライド”を世界に示す場です」
コーサ氏自身もろう者であり、弁護士として障害者の権利擁護に尽力し、アルペンスキーの選手経験もあるという。まさに多才な人物だ。その言葉を聞いて、私はある疑問に突き当たった。
日本では、かつて多くのろう学校で手話が禁じられ、「口話法」が奨励されていたという事実がある。口話法とは、相手の口の動きや表情を読み取って会話する方法で、手話を使わずに音声言語に近づけようとする教育方針だ。
この背景には、明治期から昭和初期にかけての教育政策の変遷がある。特に大正期以降、欧米で主流となった「口話法」──すなわち音声言語の習得を目的とし、手話を排除する教育方針──が日本にも導入され、「発音指導」や「読唇訓練」がろう教育の中心となっていった。
この流れのなかで、手話は「未熟」「劣った手段」とみなされ、教育現場から意図的に排除された。手話を使うことは「怠惰」「社会性に欠ける」とされ、子どもたちは手を縛られたり、罰を受けたりしながら、音声言語に適応するよう強いられた。これは、ろう者の言語的権利を否定し、健聴者の価値観に同化させようとする制度的抑圧に他ならない。
手話は長らく「意思疎通の補助」にすぎないとされ、法的にも「言語」としての地位を与えられなかった。その結果、ろう者は自らの母語を奪われ、教育の場で孤立し、社会からも見えにくい存在とされてきた。
では、これは日本独特の現象なのだろうか。
日本の「察する文化」や「同調圧力」が影響しているのか?
そう思って調べてみると、実は世界的にも見られる傾向だった。
1880年のミラノ会議では、国際的に口話法が推奨され、イタリアやアメリカでも手話教育が排除される時代があった。手話は「劣った方法」とされ、ろう者のアイデンティティや文化が否定される苦しい時代が続いたのだ。
しかし近年、スウェーデンやフィンランドなどでは手話が正式な言語として認められ、教育や行政に組み込まれるようになっている。日本でも2011年に「手話は言語である」と法的に明記され、2021年には「手話言語法案」が国会で審議されるなど、制度的な整備が進みつつある。
現場でも変化は起きている。東京都では手話通訳者の育成支援が強化され、大学や専門学校での手話教育も拡充されている。NHKの「みんなの手話」など、メディアによる普及活動も根強い。自治体によっては、手話を公用語のひとつとして扱う条例を制定する動きもある。
こうした流れの中で、手話は「察する」よりも「伝える」言語として再評価されている。日本の「察する文化」は、手話の視覚的・明示的な性質と相容れない部分もある。けれども、手話は「気持ちを伝える」言語であり、曖昧さを排して明確に意思を表現する力を持っている。
デフリンピックは、こうした手話の力と文化を世界に示す絶好の機会だ。コーサ氏の言葉を借りれば、「見えない障害だからこそ、見える言語で伝えることが重要」なのだ。
手話は、単なる手の動きではない。それは、ろう者の生き方そのものを映す言語であり、文化であり、誇りだ。東京デフリンピックを通じて、私たちはその豊かさに触れることができる。
そして、かつて禁じられた言語が、今こうして祝福される“輝かしい”時代に私たちは立ち会っているのだ。
「公益財団法人 東京都スポーツ文化事業団」HPより