【おススメドキュメンタリー】映画『揺さぶられる正義』が“揺さぶった”もの――報道における《感情表現》はどこまで許されるのか

ドキュメンタリー研究の一環として、映画『揺さぶられる正義』を鑑賞した。
本作は、「揺さぶられっ子症候群(SBS)」をめぐる裁判を通じて、多くの冤罪を生んだ医学的・法的な“不確実性”に迫った報道ドキュメンタリーである。大阪の今西貴大事件を中心に、SBS診断の揺らぎと司法判断の構造的問題を描き出している。
監督を務めたのは、関西テレビ報道記者であり弁護士でもある上田大輔氏。2016年以降、約10年にわたりSBS事件を継続的に取材し、家族・弁護士・医師・法学者らとの対話を通じて、制度の歪みに光を当ててきた。とりわけ、秋田真志弁護士と笹倉香奈教授(甲南大学)が立ち上げた「SBS検証プロジェクト」の活動を軸に、報道の力で構造的課題に切り込もうとする姿勢が印象的である。

まず、10年近くにわたる粘り強い取材の姿勢には深い敬意を表したい。
さまざまな立場の人々の証言を丹念に拾い上げ、「正義とは何か」という問いを多角的に掘り下げようとする構成は、報道ドキュメンタリーとして高く評価できる。とりわけ、医療と司法の接点において生じる認識のズレや、専門家の立場によって変化する「事実」のあり方に光を当てた点は、社会的意義が大きい。
推薦者のコメントでも、脚本家の井上由美子氏は「フィクションではたどりつけない頂。上田監督の問いかけは、引き裂かれた家族の姿を他人ごとでは終わらせない。人が生まれ、育つことの重みに涙した」と述べ、ドキュメンタリー監督の大島新氏は「この映画では、自社の過去の報道姿勢を真っ向から批判し、自身にも刃を向けている。まじでこんな記者、いる? テレビジャーナリズムの、宝だと思う」と絶賛している。
「地方局がどのように社会的役割を果たし得るか」という点においても、この作品はその可能性を大きく広げた。私は“テレビ局再編”の流れの中で、「いかにして地方局が生き残るか」という問題に関して問われることが多い。そんなとき、私は「地方発のドキュメンタリーが生き残り策」と答える。だが、これに対して、多くの人が「地方局には、お金も時間もない」と述べる。この作品は、それが詭弁であることを見事に証明している。

しかしながら、作品全体としては、焦点がやや散漫になった印象も否めない。
制作者自身の「なぜ記者になったのか」「記者としての悩み」といった個人的な背景が語られる場面が多く、ドキュメンタリーとしての主題が感傷的な方向へと傾いてしまった感がある。例えば、ラストシーンで大阪高裁で逆転無罪となった今西貴大氏にインタビューする場面では、「僕は相手が信じるより前に、自分が信じる。だから、上田さんのことも信じた」といったコメントが挿入される。これは人間的な信頼関係を描く上では重要だが、報道ドキュメンタリーとしての構造的焦点が「記者の葛藤」へと移ってしまったことで、SBS事件の制度的問題がぼやけてしまった印象を受けた。
もちろん、制作者の内面を描くことが作品に人間的な深みを与えることは否定しないが、報道作品としての核心――すなわち「揺さぶられっ子症候群」の裁判がなぜこれほどまでに揺れるのか、その制度的・構造的な問題――に、より鋭く迫ってほしかったという思いが残る。
たとえば、当初は弁護士側の証言者であった医師が、なぜ途中から検察側の証人に回ったのか。その背景には、医師個人の信念の変化、学会内の立場、診断基準の揺れ、そして司法との距離感など複雑な要因が絡んでいる。こうした転向の背景に迫ることで、制度の力学や専門家の立場の変化に対する批判的検証が可能だったはずである。また、その医師に対して「過去にあなたが『医学的見地を重視して、本当に守らなけれならないものを守れてないのではないか』と非難した医師と同じことをやっているのではないか」と問うこともできたはずだ。そうした批判的視座の欠如は、長期取材の成果を活かしきれていないという意味で、惜しまれる点である。
総じて、本作は制作者の誠実な姿勢と取材力が光る力作である一方で、報道ドキュメンタリーとしての焦点設定に課題を残した作品でもある。報道と自己表現の境界をどう引くか、また、“作り手として”感情と構造分析をどう両立させるかという点で、今後のドキュメンタリー制作において重要な問いを投げかけている。
最後に一点、タイトルについて私見を述べたい。『揺さぶられる正義』というタイトルは、“記者”“医者”“弁護士”“検察”といったさまざまな視点からの「正義」がSBS事件というひとつの事案によって“揺れ動く”様を表していると思われるが、題材が「揺さぶられっ子症候群」であるため、初見では「揺さぶられる被害者側の正義」を描くのかと誤解してしまった。また「揺さぶられっ子症候群」とかけたタイトルなのかと勘違いしてしまった。作品にとってタイトルは重要なので、この点はもう少し考慮した方がよかったかもしれない。

本作を観て、今後のドキュメンタリー研究に向けて、以下の3つの視点を重視してゆきたいと感じた。
第一に、さまざまな専門分野が絡んだ題材を扱う場合、専門家の立場の変化や制度的力学の関係を精緻に分析するということ。
第二に、報道倫理と表現手法の関係を検討し、制作者の個人的視点が作品に与える影響を冷静に評価すること。
そして第三に、地方局の報道力や社会的役割について、他局との比較を通じて検討することで、地域メディアの可能性と限界を明らかにすることである。
以上、あえて苦言も呈したが、本作は報道ドキュメンタリーの可能性と限界を同時に示す好例であることは間違いない。制作者の誠実な姿勢と、長期にわたる取材の蓄積が生み出した映像は、視聴者に深い問いを投げかける力を持っている。とりわけ、制度の構造的な歪みと、それに翻弄される当事者たちの姿を記録することの意義は大きく、今後の報道の在り方を考える上でも重要な資料となるだろう。
私自身の研究においても、本作は多くの示唆を与えてくれた。そういった意味で、本作は“おススメ”であると断言できる。報道に携わる者、メディアを研究する者、そして司法や医療の制度に関心を持つすべての人にとって、観る価値のある一本である。

「映画.com」より

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