【今日のタブチ】東京新聞「貧困ビジネスを追う」に込められたメディアの矜持――「制度」という名のもとに“分断“と“沈黙”を生じさせる行政の《無作為》を問う

東京新聞が、見過ごされがちな社会の闇に切り込む、すごい企画を始めた。
「貧困ビジネスを追う」という企画だ。
この企画が重要なのは、単に悪質業者を告発するだけでなく、制度の構造的欠陥や行政の不作為を照らし出す点にある。
こうした視点は、過去にも優れたルポや番組で繰り返し描かれてきた。その視点を共有する作品としては、『東京貧困女子。-貧困なんて他人事だと思ってた-』(WOWOW)は、経済誌の契約編集者が“女性の貧困”をテーマに連載を担当する中で、現実の厳しさに直面していく姿を描いたドラマである。ドキュメンタリーでは、『いのちのとりで』(鹿児島テレビ)という、生活保護費の一律引き下げに対して受給者たちが裁判を起こす様子を追った作品もある。
東京新聞の新企画は、これらの報道の蓄積と呼応しながら、制度の深部に切り込む試みでもある。

この連載は、生活困窮者を対象にした搾取的なビジネスの実態を、現場取材を通じて明らかにするものだ。初回記事では、生活保護を受ける人々が、同じ境遇の他者を「管理する側」に立たされるという、衝撃的な構造が描かれていた。
たとえば、無料低額宿泊所を運営する業者が、生活保護費を受け取る住人に対し、他の住人の見回りや掃除、トラブル対応などを「管理人」として担わせている。報酬はわずかで、実質的には「被害者が加害構造の一部を担わされている」状況だ。
この構図が示すのは、制度の隙間を突いた搾取の連鎖である。生活保護制度は本来、困窮者の自立を支援するためのものだが、現実にはその制度を逆手に取ったビジネスが横行し、貧困の固定化を招いている。
記事の中で特に気になったのは、「管理」という言葉の使われ方だ。管理とは本来、責任や権限を伴う行為であるはずなのに、ここではそれが搾取の延長線上にある。つまり、「管理する側に立たされる」ことで、被害者が加害構造の一部に組み込まれてしまう。「管理」という言葉は、制度の中では秩序維持や安全確保のための正当な役割として位置づけられる。しかし、ここで使われている「管理」は、実質的には搾取の延長であり、権限も報酬も曖昧なまま、困窮者同士の監視を強いる構造になっている。
この構図は、自己責任論の延長で、困窮者同士が監視し合う仕組みとも言える。連帯を断ち切り、声を上げにくくする。「制度」という名のもとに、分断と沈黙が生じさせようとする“悪質な”ものだ

東京新聞のこの企画は、単なるルポではない。制度と社会の倫理を問う連載として、今後も注目すべきだ。こうした問いを投げかけることこそが、メディアが社会に向けて果たすべき役割であり、東京新聞がこの企画に託した矜持なのだろう。
次回以降の記事では、行政の対応や、当事者の声がどのように描かれるかにも期待が高まる。制度の名のもとに生まれる沈黙と分断に、私たちはどう向き合うべきなのか――この企画は、そんな問いを突きつけてくる。

「東京新聞デジタル」より

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