【今日のタブチ】追悼:人生の「大事なこと」は、ほとんど仲代達矢氏に教えてもらった④――「私はまな板の上のコイ」と語った《覚悟》と少年のような《純粋な心》
追悼・仲代達矢氏の記事は、本日で最終回とする。まだまだ書き足りないことはあり、名残惜しいが、ここで筆を置きたいと思う。
仲代氏からは、数えきれないほど多くのことを教わった。謙虚さ、相手を気遣う心、「優しさ」とは何か、プロ根性、クリエイターや芸術家としての心構え、そして人生とは何か――そのすべてを挙げることは難しい。
この原稿を書きながらも、あのロケで見せた笑顔や笑い声が、今も耳に響いてくるようだ。私は現場ではディレクターであり、仲代さんは「監督が一番偉い」といつも持ち上げてくれていた。「私はまな板の上のコイ」と語り、いったん仕事を引き受けたのだから、どう料理されてもその状況を引き受けると覚悟してくれていた。そんな覚悟を持った人物には、なかなか出会えない。
仲代氏には豪快な逸話が数多くあるが、私が特に忘れられないのは、島での生活だ。
ミクロネシアのヤップ島の近くにあるサタワル島という島に数週間滞在したときのこと。家は海辺の廃屋のような建物を借りて、テントを張った。食事は現地の人に作ってもらい、何でもかんでもココナッツを使う。私たちが持ち込んだ少量の貴重な米を焚いてくれるようお願いしたら、ココナッツ味に出来上がってしまった。「あちゃー」と思っていた私の前で、仲代氏はそんな私の気持ちを慮るように、「初めて食べるけど、なかなかいけますね」と言ってむしゃむしゃ食べてくれた。村人には申し訳ないが、正直言って美味しいとは言えない代物なのにだ。このように、仲代氏は現地で出されたものを何でも食べてくれた。「私は食いしん坊だし、貧しい幼少期を過ごしましたから」と笑っていたが、それは仲代氏らしい謙遜だった。
島にはトイレというものが存在しない。「天然のトイレ」があるからだ。そう、それは「海」という大自然である。朝早くには、陸から見ると沖の波間にプカリプカリと人の頭が浮かんで見える。皆、用を足しているのだ。
あるとき、仲代氏がニコニコ笑いながら海の方から帰ってきた。そして開口一番、私に言った。「いやぁ、田淵さん。参りましたよ」
聞けば、大きい方の用を足していたら、満ち潮だったので、陸の方を向いていた自分の前に思わぬ“置き土産”が戻ってきてしまったというのだ。まるで腕白な子どもが自分のいたずらを自慢するかのようなその笑顔を見て、「なんて純粋な心を失っていない人なんだろう」と感心したことを、昨日のことのように思い出す。
仲代氏は、南米大陸まで縄文人の足跡をたどる旅をした。その最後に、果敢に海を渡っていった縄文人を称え、番組内でこう語った。
「縄文人は偉いよ……彼らの勇気を見習って、頑張って生きようと思います。毎日毎日、しっかり生きてゆこうと思います」
それは、妻・恭子夫人を亡くし生きる望みを失っていた仲代氏が、旅を経てつかんだ決意だった。
いまは、恭子夫人や演劇・映画の仲間たちと、大好きな酒を飲み交わし、豪快に笑いながらいろんな話をしていることだろう。
仲代さん、長い間ありがとうございました。あなたから学んだことは、これからも私の中で生き続けてゆきます。そして、その教えを胸に、これからもしっかりと歩んでいこうと思います。
*明日は、番外編と題して、ドキュメンタリー『ネシアの旅人』以降の仲代氏との交流として、ドラマ作品についてお伝えする予定です。
「産経新聞デジタル」より
*仲代氏は、今年5~6月にも自身が名誉館長を務める石川県七尾市の劇場「能登演劇堂」で主演していた


