【今日のタブチ】『未解決事件』「ベルトラッキ贋作事件」が問いかける《ニセモノ》と《ホンモノ》の真価とは?
NHKのドキュメンタリー『未解決事件』が見ごたえがある。
2011年から不定期に放送されていたが、今年2025年の秋からレギュラー化した。File.01「八王子スーパー強盗殺人事件」から楽しませてもらっている。最初のころは「レギュラー」だとは思わず、File.03「地面師詐欺事件」とFile.04「逃亡犯へ〜遺族からの言葉〜」を見逃した。配信が終わってしまったようで、残念だ。File.02「北朝鮮 拉致事件」のドラマは見ごたえがあった。高良健吾氏の感情を抑えた表現がこころに染みた。File.05「“存在しない子どもたち”大阪女児コンクリート詰め事件」には、戸籍から消されてしまった子どもの無念さをわが子のことのように思い、涙した。File.06「詐欺村 国際トクリュウ事件」には、まさにいまの日本の若者たちの間に潜む「闇」に震撼した。
そして、先週末22日に放送されたFile.07「ベルトラッキ贋作事件〜世界をだました希代の詐欺師〜」はいろいろなことを考えさせられた。
この事件は、ドイツの画家ヴォルフガング・ベルトラッキが、実在する画家の「失われた作品」を、残された文字情報をもとに想像で描いたり、画家の作風を徹底的に研究して“ありそうな作品”を創作し、世界中の美術市場を欺いたというもの。彼の贋作は一流の美術館やコレクターに高値で取引され、被害総額は数十億円にのぼるとされる。
番組制作陣にもっとも拍手を送りたい点は、ベルトラッキ本人としっかり向き合ったことだ。推測で語らない、自分の足と目と耳で確かめる一次情報で映像構成をおこなっていたことを大きく評価したい。また、贋作を買わされた美術館の作品管理責任者とベルトラッキを対峙させた演出も見事だった。
ベルトラッキ本人は「何も反省していない。後悔などみじんもない」と断言する。文字情報しか残っていない画家の「失われた作品」を自己の創造力だけで描き、それが高値で売れる。「贋作」の概念とは何なのかと感じさせられた。
騙された側の気持ちや悔しさはわかる。「詐欺」という行為もいけないことだ。だが、その一方で、ベルトラッキの行為が完全に「悪」かというと、私にはそうではない一面もあると思えて仕方がない。彼は贋作を創作する際、対象となる画家の人生や人となりを徹底的に研究し、その人物が住んでいた場所に住み、同じ空気や食べ物を食べ、完全に“なり切って”臨んだという。そこまで徹底すると「贋作」も“本物に”なる気がした。そして何より、美術館でその贋作を観て感動した人が多くいるという“事実”は消すことができない。
それは、美術や創作者への「冒涜」であり、鑑賞者への「裏切り」だという考え方もあるだろう。だが、その贋作を観て、人生において勇気づけられた人もいるはずだ。だとしたら、「芸術とは何なのか、何のためにあるのか」そして「芸術の役目とは何なのか」ということを考えてしまう。もし仮に、ベルトラッキの贋作に感動し、死ぬことをやめ生きることへの道を選んだ人がいたとしたら、その人にとってその作品が「真贋どちらだったか」ということなど、関係ないのではないかと思うのだ。
人々にとってそんな人生の岐路のような機会を多く創り出したという意味においては、ベルトラッキのおこないは、「善」とも言えるのではないか……。
ここで思い出したのが、映画『海の沈黙』のことだ。若松節朗監督が倉本聰氏に懇願されて演出をした作品で、主人公の贋作師役・本木雅弘氏の鬼気迫る演技が心に残っている。劇中で孤高の画家・津山竜次が語る言葉――「本物とは何だ?名前か?血か?それとも、心を震わせる力か?」「ニセモノでも、人を救うことがあるなら、それは本物じゃないのか」
このセリフは、今回のベルトラッキ事件と重なる問いだった。贋作を「偽物」と切り捨てることは簡単だ。だが、作品が人に感動を与え、人生を変える力を持つなら、それは“本物”と呼べるのではないか――そう考えさせられる。
そして番組の最後、ベルトラッキが自分が描いた贋作でまだ見つかっていないというリストを見て、こう言った言葉に震撼した。
「これについては何も言わない。もう終わったことだ」
「だが、一つだけ言える、まだ200はある」
贋作は「偽物」なのか、それとも「新しい本物」なのか。芸術の価値は、作者の名前にあるのか、それとも作品が人に与える感動にあるのか――。『未解決事件』は、ただの犯罪ドキュメンタリーではなく、こうした問いを私たちに突きつけてくる。次回はどんな「未解決の問い」を投げかけてくれるのか、楽しみにしている。
「NHK公式HP」より


