【今日のタブチ】伊藤詩織氏のドキュメンタリー映画『Black Box Diaries』が映像差し替えへ~「お詫びコメント」に見る無念さ
映像提供者や被写体の許諾のない映像使用を指摘されているドキュメンタリー映画『Black Box Diaries』で監督を務めた伊藤詩織氏の性被害関連訴訟の元弁護団が記者会見を開き、伊藤氏側が映像の一部差し替えなどをおこなうことを認めたことを公表した。
この作品は、3月2日(日本時間3日)にアメリカのロサンゼルスで発表される第97回アカデミー賞の長編ドキュメンタリー映画賞部門の候補作となっている。弁護団側の佃弁護士はアカデミー賞発表直前というタイミングでの記者会見を問われ、「すでに投票は終わっていると聞いており、賞を獲るかどうかは関心がない」と説明した。
伊藤氏はコメントで、「西広弁護士への確認が抜け落ちたまま使用し、傷つけてしまったこと、心からおわびします」と述べながら、「ホテルの防犯カメラは公益性を重視し、使用を決めた」ことを説明し、「ブラックボックスにされた性加害の実態を伝えるには、どうしても必要でした」と弁明している。
私はこのブログでも、伊藤氏の今回の問題を取り上げ、映像の「危険性」や「暴力性」について注意喚起し、「被害者」が「加害者」になる可能性を示唆した。☛2024年10月22日のブログ
また、伊藤氏が主張するところの「公益性」という考え方が、日本と海外では大きく異なる点を指摘し、「プライバシーと公益性」のどちらを優先するのかという問題の難しさを訴えてきた。☛2025年1月21日のブログ
伊藤氏は、同声明文の冒頭に「9年かけて制作した映画『Black Box Diaries』は、私のレイプ被害そのものを描いた作品ではありません。伝えたかったことは、その後の社会の話です。性暴力は『被害者』個人の問題ではなく、『社会』の問題なのだと心から感じました」と綴っている。そして最後を「映画が光を当てているのは性暴力と権力というテーマです。みなさんに見ていただき、議論してほしいということ」という言葉で〆ている。
なぜ 伊藤氏がこの映画を制作し、世に発表しなければならなかったのか。そして、なぜ許諾が得られないまま使用したら問題になることがわかっていながら、あえてその映像を使わなければならなかったのか。それを私たちは考えなければならない。
彼女が言うように、議論し続けるべきである。この問題を風化させてはいけないのだ。
我が国の社会の「真価」が問われている。
*この記事の内容は、決して映像の被写体となった被取材者や元弁護士の方などの権利侵害を正当化するものではないことを念のために述べておきたい。
映画『Black Box Diaries』ポスター
「集英社オンライン」より