【今日の新聞から】先住民族を「見せもの」や「食いもの」に

明治の万博で琉球民族や北海道のアイヌの生身の人間が、「土人」としてそのまま展示されていたという記事にはショックを受けた。解説者がムチで指し示しながら紹介するだけでなく、「性質が荒々しいので笑ったりしないように」という立札もあったという。世界の混乱期には列強が自国の力を誇示する道具として万博を開いていた。その最たるものが植民地の先住民たちを展示する「ヒューマンズー(人間博物館)」である。

この記事は、2021年3月12日に放送された日テレ情報番組『スッキリ』で、アイヌ民族を取り上げたドキュメンタリーを紹介する際に、芸人が「この作品とかけまして動物を見つけた時ととく。その心は、あ、犬」と発言したという事件を喚起させられる。

2025年には大阪で万博が開かれるそうだが、上記のような万博のもともとの意味合いや成り立ち、役割を知ると、ますます「開催不要ではないか」と思ってしまう。さらにこの大阪万博に関しては、北海道の鈴木直道知事が「我が国の先住民族であるアイヌの存在や文化を発信する、またとないチャンスだ」と発言するというミソもついている。生身の人間展示ではないが、先住民族を国家のイベントというステージで対外的なアピールの材料に使おうという考え方はいかがなものか。本当に先住民族たちはそれを望んでいるのか。

と言いながらも、今日のこの話題を考えるにつれ、私にも自責の念が浮かんだ。ご存じのように私は長年にわたって世界の秘境と言われる発展途上地域を訪れ、その地に住む先住民族や少数民族を取材してきた。そのころの私は20代で、彼らの文化や習慣のとりこになっていた。そして自分の感動を一人でも多くの視聴者に伝えたいと純粋に思って、ドキュメンタリー番組という形で情報発信をしていた。だが、これも見方を変えれば、鈴木都知事やかつての万博のように、先住民族というマイノリティを「商売にしている」「食いものにしている」と言えないだろうか。現地で許可を得ていると言えども、彼らは撮影されることや、テレビで紹介されることを本当に望んでいたのか。
私が現地の民族の村を訪れるときに、こころしていたことがある。それは「お邪魔をしている」という感覚を忘れないことだ。彼らには彼らの生活や日常がある。あくまでもそれを「撮らせてもらっている」のに過ぎないのだということを忘れてしまうと、傲慢な気持ちが生まれる。自分たちは文明人で、彼らは野蛮人だというまさに明治の万博が彼らを「土人」と称したことと同じになってしまう。それは絶対にあってはいけない。そう肝に銘じて取材をしていた。しかし、結局のところ私がやっていたことは、先住民族を放送という道具でさらし者にして、それで金儲けをしていただけではなかったのか。もしそうだとすれば万博と同じ構造ではないのか。今日の記事を読んで、そういう思いになった。

海外の取材に行かなくなって久しい私にできることは、ほとんどない。だが、今日の気持ちを忘れないようにすることはできる。そうしよう。改めて心に誓った。
今日の記事はとても有益なものだった。

インド・ナガランド州の先住民族 とてもいい笑顔をしている

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