【大好きな人たち】「山の上ホテル」休業と菅原文太氏

川端康成や三島由紀夫などの名だたる文豪に愛されてきた「山の上ホテル」が老朽化のため、2月13日から全館休業する。去年の10月にそのことが発表されてから、予約が絶えないという。それほどまで、皆に愛されていたということだ。この新聞記事を読んで、私はある人物のことを思い出した。
俳優の故菅原文太氏である。
山の上ホテルは文豪だけではなく、多くの著名人や俳優にも愛されてきた。私は身分不相応のため恐れ多く泊まったことがないが、菅原文太氏の上京時の定宿でもあった。思い出したのは、この山の上のホテルで在りし日の菅原氏とお会いしたことがあるからだ。
いまから24年前の、2000年のことだ。私は中国の揚子江を源流から河口まで取材をしてその大河の多様性と神秘に迫るドキュメンタリー『暴れ龍・揚子江』という番組を制作していた。この作品には旅人やレポーターはいない。現地の取材映像だけで構成する2時間の特別番組で、なんとゴールデンで放送された。1カ月以上かけて現地で撮影してきた映像を編集している最中に、番組のナビゲーター、つまり今回の場合は「語り(=ナレーション)」を誰にしたらいいかという話になった。
私の中で、自分が菅原文太氏に対して勝手に抱いている……力強く一見粗野に思えるが、その表の顔の裏側に「繊細さ」や「優しい顔」を秘めているという……イメージが、取材してきた揚子江の姿に重なった。そして何とか伝手を辿り、マネージャーも兼ねていた奥様の文子氏に連絡を取ることができた。ちょうど上京する用事があるので山の上のホテルでお会いしましょうということになった。当時、菅原氏ご夫婦は岐阜県の農村に移住していた。文子氏はそうでもなかったらしいが、菅原氏本人が農作業にご執心だったようだ。
話が長くなってきたので途中を端折るが、結果的には引き受けていただけることになった。そんな日のことを今日の新聞記事から思い出したのだ。
菅原文太氏は人間的に大きく、懐が深く、太陽のような人だった。私の「大好きな人」の一人である。菅原氏に関しての想い出はたくさんあるが、なかでも2つのことが思い出深い。
ひとつ目は、ナレーションを録音しているときのことだ。
私はディレクターとしてナレーションを映像に合わせて読むタイミングの「キュー」を出す役目だった。私のディレクター卓からは菅原氏がいるアナウンスブースが見える。ナレーションを確認しようと原稿に目を落とした私は、再び目を上げてアナブースを見たとき、一瞬目を疑った。
菅原氏がいまにも立ち上がらんばかりの身振り手振りの大きなアクションで、ナレーションを読み上げて懸命に練習していたのである。私は、見てはいけないものを見てしまったような気がして、目を逸らした。何か門外不出の神聖な「神事」か神の「所業」を目にしてしまったような「うしろめたさ」を感じた。菅原文太氏ほどの大俳優でもそこまでやるのか、という思いと同時に、そういった真摯な姿勢があるからこそ「大俳優」なのだと改めて強く確信した瞬間だった。
もうひとつは、それから3年経ったある試写会でのことだ。
『わたしのグランパ』という2003年公開の映画は筒井康隆氏の小説を原作とした東陽一監督作品だが、その前年の第27回ホリプロスカウトキャラバンでグランプリを獲った石原さとみさんのデビュー作である。この映画で石原さんを見たとき、私は「すごい子が出てきたな」と感じたのを記憶している。
その試写会に私は菅原氏から招待を受けて、参加させてもらった。そして帰る際に菅原氏に挨拶をしたときのことだった。「おー田淵さん、元気かぁ」。菅原氏はそう言って私の頭をぐりぐりと撫でまわしたのである。まるで息子に「いい子、いい子」をするような感じでだ。私はびっくりした。まさに「度肝を抜かれる」とはこのことだ。そして菅原氏は「また呼んでなぁ」と言った。「また仕事しような」という意味だ。
そんな数々の出来事が、脳裏に鮮明に浮かび上がった。山の上ホテル休業の記事は私に「いい思い出」をよみがえらせてくれた。
ありがとう。


*今日、「文太さん(文中は「菅原氏」という呼び方で通しているが、私はいつも「文太さん」と呼んでいたので、欄外のここではそう呼ばせていただく)」のことを思い出したことで、もうひとりの「私の大好きな人」のことを思い出した。記憶というのは連鎖するものだ。その方は、田中邦衛さん。私は僭越ながら「邦さん」と呼んでいた。この田中氏の話は次回にしたいと思う。


「Sponichi Annex」より

【大好きな人たち】「山の上ホテル」休業と菅原文太氏” に対して2件のコメントがあります。

  1. 岡  仁 より:

    とても素敵なエピソード!
    山の上ホテル。何度か行きましたが
    とても素敵な空間でした。
    伊集院静さんの東京での拠点でしたね。
    フェアモントホテルと並んで
    好きなクラシックホテルでした。

    1. 田淵 俊彦 より:

      岡仁様
      コメントをありがとうございます。
      本当に文太さんは素敵な人でした。奥様の文子さんも・・・。
      田淵 拝

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