【最近気になっていること】「対話」ができない日本人

最近の社会情勢を見ていて大変気になっていることがある。
それはますます日本人が他者との「対話」ができなくなってきているのではないかという危惧である。例えば、沖縄の辺野古だ。市民が知らない間に、軟弱な地盤で前倒しの工事が着手されていた。これは政府が代執行を行使しているわけだが、そこにあるのは「コミュニケーションの断絶」である。もっとなぜ「対話」や「議論」をしようとしないのか。
もともと日本人は「コミュニケーションが苦手」と言われてきた。本来、こんな狭い島国で肩を寄せ合って暮らしているのだから、もっと他者とのコミュニケーションに気を配ってもいいといいと思うのだが、「他人の気持ちをおもんばかる」という美徳の傘にその必然性が隠されてしまっている気がする。そしてその「コミュニケーションの断絶」はさらに悪化している。
ドラッカーは、「21世紀は『断絶の時代』」と述べたが、断絶どころか「皆無」に近い。裏献金疑惑で雲隠れしていて逮捕された池田衆議院議員もそうだ。なぜ表に出てきて正々堂々と言わないのか。「私は私が信じる『正義』のためにやりました!」と自分が信じる正当性を主張すればよいのではないか。
そこには、「対話をしよう」「コミュニケーションを取ろう」という意思は皆無である。困ったものだ。
そんなふうに、最近「対話ができない日本人」が増えていることが、私の気になっていることである。皆さんも日常の生活の中でお感じになったり、「あ、あれもそうじゃないかな」と気がつかれたことがあるのではないだろうか。

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