【おススメ映画】“幻”のカルト・ファンタジー『落下の王国』は、CGを多用する現代映画「技術依存」への挑発だ

ターセム・シン監督の映画『落下の王国』を鑑賞した。
撮影期間は4年。13もの世界遺産と24か国以上のロケをおこなったとして、2008年の日本公開時には話題となったが、見逃していた。それ以来、なぜか配信されることもなく、DVDが売り出されると売り切れでプレミアがつくというほどの、“幻”のカルト・ファンタジーだ。編集技師の加藤ひとみ氏に「公開が始まった。しかも、4Kリマスター!」と教えてもらって気がついた。ラッキーだった。さすが「名エディター」の目利きは素晴らしい。

噂に違わず、素晴らしい作品だった。
私がドキュメンタリーの撮影で訪れた世界遺産もたくさん出てきて、懐かしく感じた。
舞台は1915年のロサンゼルスの病院。映画撮影中の事故で下半身不随になったスタントマン・ロイと、オレンジの収穫中に木から落ちて腕を骨折した5歳の少女アレクサンドリアが出会う。ロイは絶望の中で、少女に自殺用の薬を取らせるため、壮大なおとぎ話を語り始める。だが、その物語は少女の想像力によって現実を超え、世界の広さと神秘を映像化していく。しかも、CGに頼らずというから見事だ。
現代の映画やドラマはCGやバーチャル技術がなくては成り立たない。だが、この作品はその業界常識に反旗を翻すものだ。実在する世界遺産などの実写の映像美には目が釘付けになる。ワンカットワンカットにこだわりとその意味が垣間見られた。

特筆すべきは、石岡瑛子氏による衣装デザインだ。石岡は1938年東京生まれ。東京藝術大学を卒業後、資生堂宣伝部で広告革命を起こし、1980年代に渡米。映画『ドラキュラ』でアカデミー賞衣装デザイン賞を受賞し、ターセム監督と組んだ『落下の王国』では、文化と幻想を融合させた衣装で世界を驚かせた。北京オリンピック開会式の衣装も彼女の手によるものだ。彼女の衣装は単なる装飾ではない。物語の象徴であり、キャラクターの心理を視覚化する“言語”だ。奇抜ともいえる衣装が、あり得ないファンタジーを現実に引き寄せる。
少女アレクサンドリアの存在も、この作品に深みを与えている。無邪気でキュートな笑顔、話の続きをおねだりする仕草には、見ながら思わず微笑んでしまった。彼女の純粋な想像力が、ロイの語る物語を現実に変えていく過程は、この映画の核心だ。

ここで、原題『The Fall』に込められた意味にも触れておきたい。
単なる「落下」ではなく、肉体的な落下と精神的な堕落の二重性を示している。少女が木から落ちる場面、ロイがスタントで落下する事故、そして彼の心が絶望に沈む過程――すべてが「Fall」という言葉に集約される。一方、邦題『落下の王国』は、日本の観客により幻想的なイメージを与えるために「王国」を加えたものだ。少女の想像力が広げる世界は、まさに王国のように壮麗で、現実を超えた空間として描かれる。この邦題は、映画のテーマを視覚的に補強する巧みな翻訳だといえる。

さらに注目すべきは、物語の構造だ。現実と空想が交錯する二重構造は、単なる視覚的な美しさにとどまらず、「語り」の力を強調している。主人公が語る物語を聞きながら、少女の想像力が広がる過程を、あたかも目の前でその出来事が起こっているかのように“現実化”してくれる。それは、やはり実写の力だ。CGではなく、語りと想像力が世界を創るというテーマを、観客は体感することになる。

この映画は、現代映画における「技術依存」への挑発でもある。CGを排し、実在する風景を選び抜き、そこに物語を重ねることで、映像表現のリアリティと詩的な美しさが両立している。映画が単なる娯楽ではなく、文化や芸術の本質に触れるメディアであることを、改めて示している。

あなたは、映画に“リアル”を求めるか、“驚き”や“発見”を求めるか?この問いに、答えを出してくれる作品だ。

「Amazon」HPより

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